◇◇研究発表◇◇ 分科会A ≪研究集会テーマ?≫ (10:00−10:40)

新作組踊:琉球古典演劇の境界を越えて

マンマナ・フランセス(琉球大学研究生)

 組踊は特に中国の冊封使に見せる為に儒教の精神を堅持して琉球王府の支配階級によって創作され上演されたが、それは現在新進のジャンルの新作組踊の基礎になっている。
新作組踊は、「国立劇場おきなわ」の開場記念公演のプログラムを深める為に公式に沖縄演劇の演目に入れられている。
 「国立劇場おきなわ」で大城立裕作「真球道」が二ヶ月間にわたる重要なプログラムの最後を飾っている一方で、此の作品のキャストの一人嘉数道彦は、県立芸術大学の大学院生で修論の一環として、マルムンの登場人物に焦点をおいた新作組踊創作の最終段階を迎えていた。
 新作組踊の登場はその存在理由と定義を問題提起している。此の発表では、最初に冊封使の前で上演された古典組踊の本質的な特徴について論じるつもりである。次に、私は新作組踊のインスピレションの源を探求する為、作家の個別の世代、創作手法、職業がこの登場しているジャンルの作品に与える傾向を調べる。 
 最後に現在までに最も成功した新作組踊の劇的に優れた二作品に焦点を当てる。嘉数道彦の「宿内森の獅子」と大城立裕の「山原舟」の両作品がいかに伝統組踊の特徴を継承しかつ離脱しているかを提示する。


◇◇研究発表◇◇ 分科会A ≪研究集会テーマ?≫ (10:40−11:20)

「研辰」の系譜

出口逸平(大阪芸術大学)

 木村錦花原作、平田兼三郎(竹柴兼三)脚色の「研辰の討たれ」一幕三場は、大正十四(一九二五)年十二月歌舞伎座で上演された。文政十(一八二七)年閏六月香川で起きた仇討ち事件は、たちまち瓦版や実録体小説・読本となり、歌舞伎でも「敵討高砂松」(文政十年初演)等の外題で繰り返し上演されてきたが、なかでもこの「研辰の討たれ」は評判を呼び、一種の研辰ブームを巻き起こした。翌十五年十月にはさっそく五幕七場に増補されて再演、さらに「稽古中の研辰」(大正十五年十二月初演)・「恋の研辰」(昭和二年九月初演)が書き加えられ、その後も伊丹万作監督の無声映画やエノケン・ロッパの喜劇、戦後は新国劇や松竹新喜劇の舞台でも取り上げられている。
 大正末から昭和、平成にいたるまで、なぜこれほど「研辰の討たれ」は受け入れられてきたのか。野田秀樹脚本演出の「野田版 研辰の討たれ」(平成十三年八月初演)も視野に入れつつ、「研辰の討たれ」の成立過程とその背景について考えてみたい。


◇◇研究発表◇◇ 分科会A ≪研究集会テーマ?≫ (11:20−12:00)

近松の継承と創造―「南条好輝の近松二十四番勝負」―

水田かや乃(園田学園女子大学近松研究所)

 三年前の二〇〇四年より、大阪千日前のトリイホールで、読本会「南条好輝の近松二十四番勝負」という朗読劇が行われている。年に三回、近松門左衛門の世話物二十四作を原作に忠実に、しかも現代の大阪ことばに直して朗読するという公演である。出演は大阪を中心に活躍する俳優南条好輝氏と三島ゆり子氏。ベテランの二人が男女の役を語り分け、南条氏は地語りも勤める。発表者は、第一回の公演から監修を勤め、南条氏が作った台本を原作と突き合わせて改訂し、近松の原作から離れぬことを基本方針としながら、現代のドラマとして成立させる役割を負っている。今回の発表では、浄瑠璃として書かれている原作のことばを、いかに取捨しながら、「聴いているのに観ているような実感」を観客に与えることができるかを、具体的な作品を例としながら紹介し、この試みが、現代における近松入門として一つの有効な方法であることを実証したい。