西洋比較演劇研究会例会案内
2006年度
●2007年1月例会のお知らせ


今年度最後の例会となります。奮ってご参加ください。

日時 1月13日(土) 14:00-18:00

会場 成城大学 7号館2階721教室

研究発表?
北野雅弘 「演劇的ポリフォニーへ向けて〜リヴィング・シアターの『アンティゴネ』」

〔発表要旨〕
ギリシア悲劇は謎に満ちている。その謎は、例えば『アガメムノン』の敷物のように、作者から解釈学的循環を発動させるべく企まれていて、本来固定的な解がないものもあれば、古代ギリシアと我々のコンテクストの違いによって、本来謎ではなかったものが我々にとって謎となってしまったものもあり、あるいは単なる悲劇的な「曖昧さ」であ
る場合もあるだろう。ソフォクレスの『アンティゴネ』の二つの謎をまず取りあげよう。第一は、ポリュネイケスの二度の埋葬にまつわる謎であり、第二は、アンティゴネとクレオンの対立をめぐる謎である。プロロゴスで、アンティゴネは、ポリュネイケスの埋葬に協力するようにイオカステに求め拒否される。第一エペイソディオンでクレオンが埋葬の禁止を語った後に、見張りが登場し、遺骸が埋葬されていたと告げる。見張りは戻ると遺骸を掘り出し、犬に食れるまま放置する。そこへアンティゴネが再び現れて捕縛される。なぜ彼女は戻ってきたのか?研究者を悩ませてきたこの単純な問いは、『アンティゴネ』のファーブラに戻り、アンティゴネがそもそも何をしようとしていたのかを明らかにすることによって初めて一定の解決を見るだろう。そしてこの解決は、アンティゴネとクレオンの対立において、少なくともアテナイの観客にとってはクレオンの側にどのような正義も存在しないことを示すだろう。ソフォクレスの『アンティゴネ』を「ヘーゲル的」に上演することは出来ないのである。
そしてそれは現代のさまざまな上演でも変わらない。この悲劇は、バフチン的な意味で「ポリフォニー的」ではありえない。そこには謎はない。謎はむしろ、『アンティゴネ』が「ヘーゲル的」に読まれ続けてきた、という事実のうちにある。既にデモステネスが、この悲劇へのそのような読解の端緒となっている。この第二の謎の解明から我々が引き出しうるのは、上演は読書において機能するポリフォニー的な仕掛けを無効にする、ということである。
それではポリフォニー的演劇は不可能なのか? 発表の後半では、『アンティゴネ』のテキストが持っていたポリフォニー的な仕掛けを解体するブレヒトによる改作のリヴィング・シアターによる上演のうちに、我々は演劇的ポリフォニーの一つの実例を見いだそうとする。

〔発表者プロフィール〕
群馬県立女子大学教授。文芸学・演劇学 「アリストテレスの喜劇論」「ギリシア悲劇と現代演劇(1) シェクナーのDionysus in 69」


研究発表?
小田中章浩 「両大戦間のヨーロッパ演劇における「問題系」としての時間の反転と記憶の喪失」

〔発表要旨〕
 いわゆる両大戦間(1919-1939)のヨーロッパにおいて、その手法および発想に共通するものを持った一連の戯曲が登場した。そこでは、死に瀕した主人公がその人生をもう一度繰り返したり、記憶を喪失した人物の過去の履歴が問われる。前者の例としては、A・サラクルーの『アラスの見知らぬ女』(1936)やJ.B.プリーストリーの『ヨルダン河を渡るジョンソン』(1939)等があり、後者にはJ・ジロドゥーの『ジークフリート』(1928)やL・ピランデルロの『未知の女(お気に召すまま)』(1930)がある。
 われわれは、これらの劇作家の影響関係だけでなく、そこで共有されていたより大きな問題意識について考えるべきではないだろうか。なぜならこれらの戯曲は、その主題の扱い方が似ているだけでなく、その劇作術においても(当時としては)独創的な手法を用いていたからである。今回の発表では、サラクルーの上記の戯曲を起点とし、上に言及した他の作品、ならびにH−R・ルノルマンの『時間は夢』(1919)等にも言及しながら、この時代の演劇における「問題系」の一つとしての時間の扱われ方について論じる。

〔発表者プロフィール〕
小田中章浩(おだなかあきひろ)大阪市立大学文学部助教授。専門はフランス演劇ならびに西洋演劇史。最近発表した論文としては「行動する劇評家、行動する研究者としてのB・ドルト」(『西洋比較演劇研究』第5号、2006年)がある。

次回例会は4月となります。発表申し込みなど fzc03200@nifty.ne.jp へ。

西洋比較演劇研究会157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740
郵便振替口座番号:00150−2−9688

●12月例会のお知らせ 
 
今年最後の例会となります。若手研究者による新たな視点の研究と、本会会長の毛利氏によるイプセン研究に関してのご報告と、興味深い二本立てとなります。
また、会終了後には簡単に懇親会の席を設けます。奮ってご参加ください。

日時 2006年12月9日(土)14時〜18時 
会場 成城大学 714教室(7号館1階)

発表1
グランヴィル・バーカーの理想「ノーマルな戯曲」とは何か
    ――1910年『マドラス商店』初演をめぐるプロパガンディズムの行方――
 
                                藤岡阿由未
発表要旨
 ハーリー・グランヴィル・バーカーは、1910年から演劇の現場を引退するまでの数年に、それ以前と比べて格段に実りの多い時期を迎えることになる。非写実主義戯曲を中心に、シェイクスピアまで上演演目の幅を一気に広げ、彼は舞台の様式化を実践し始めるのである。しかし、彼のこの時期の転換の仕方は、写実から様式という図式だけでは捉えられない。
戯曲のプロパガンディズムが注目された、いわゆる「インテリ演劇」をふりほどくようにして、バーカーは1910年「ノーマルな戯曲の上演」について、思いをめぐらせている。1910年以前まで手がけてきた「インテリ演劇」の中心はバーナード・ショーの写実主義戯曲であり、写実から様式への転換は一筋縄ではいかない。それは「フェビアン」の会員でもあったバーカーの、政治への態度の転換とも見なし得るからである。
1910年デューク・オブ・ヨークス劇場において、自ら「代表作」と後にいう戯曲『マドラス商店』の初演を彼は演出する。バーカーは「ノーマルな戯曲」の構想によって、何と決別し、何を掴もうとしたのか。『マドラス商店』初演を中心に、これを考察してみたい。
〔プロフィール〕
藤岡阿由未 明治大学兼任講師 グランヴィル・バーカーを中心とした英国近代演劇「アカデミー・オブ・ドラマティック・アートの誕生」「グランヴィル・バーカー、予期せぬシェイクスピア初演出」など。

発表2
イプセンと演劇表現
毛利三彌

要旨
イプセン没後百年の今年、わたしはほうぼうで、イプセンとのこれまでの関わりについて、駄文を書いたり、戯れ話をしてきたりした。また、1月のオスロでのイプセン年オープニング式典をはじめとして、イプセンにちなんださまざまな催しが、これまたほうぼうであったから、それらのすべてに付き合ったわけではないが、例年になく忙しい思いをした。したがって、そういったことの、大げさにいえば集大成としての話になりそうだが、今年の経験はわたしにとってどういう意味をもったか、これからもつようになるか、わたし自身、それなりの関心はもっている。ただ、わたしのイプセンに対する熱が昔ほどでないことは事実で、これはイプセンへの関心が薄れたというより、連続上演の演出といった外的には以前よりはるかに深いかかわりをもっていることも、イプセンをこえて、演劇表現それ自体への関心を支えにしているところがある。つまり、今回の発表は、これまた大げさにいえば、わたしの演劇への関心の反省ということになるだろう。実際には、まだ今年の公演の稽古の最中なので、具体的な内容は決まっていないが、ともあれ、現代の演劇表現の中でイプセンがどのように位置づけられるか、イプセンの中で現代の演劇表現がどのような作用をしているか、ということが反省の中心になるだろうと予想される。

プロフィール
毛利三彌 成城大学教授  著書:『北欧演劇論:ホルベア、イプセン、ストリンドベリ、そして現代』東海大学出版会 1980. 『イプセンのリアリズム─中期問題劇の研究─』白凰社 『新訂 東西演劇の比較』(編著)放送大学教育振興会 『イプセンの世紀末─後期作品の研究』白凰社 1995.

次回今年度最後の例会は、1月13日です。

西洋比較演劇研究会157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740
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●2005年10月例会のお知らせ

日時 2006年10月28日(土)14時〜18時 
会場 成城大学(教室は当日掲示をご確認ください)

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研究発表?
18世紀におけるギャリック版『ロミオとジュリエット』の衝撃と功績
安田比呂志

ディヴィッド・ギャリックの『ロミオとジュリエット』は、その上演史において非常に大きな功績を残している。恋人としてのロミオ像を確立し、その後の上演に大きな影響を与えているのである。恋人としてのロミオ像の確立には、もちろん、「ヨーロッパで最高にハンサムな男性の一人」といわれたスプランガー・バリーの貢献は無視できない。しかし、18世紀には、恋人としてのロミオを舞台で演じることには倫理的な問題があり、したがって、この恋愛悲劇はそれ以前にはほとんど上演されていなかった。この事実は、バリーが実現した恋人としてのロミオ像が当時の観客にとって非常に新奇で衝撃的なものであったことを示唆するとともに、バリーが恋人としてのロミオを演じることを可能にしたギャリックのテキストに対する興味を改めて喚起することになる。本発表は、18世紀における『ロミオとジュリエット』の問題点を明らかにし、それらを解消させることで恋人としてのロミオ像の確立を可能にしたギャリックの手腕と功績を、特に彼のテキストの具体的な分析を通して明らかにする。

プロフィール
安田比呂志:日本橋学館大学助教授。イギリス演劇、特にシェイクスピア。共著に『シェイクスピアへの架け橋』(東京大学出版会)。


発表?
ギリシア悲劇の視覚的技法−アイスキュロス『アガメムノーン』の場合−
宮崎良久

アイスキュロス『アガメムノーン』を、783行のアガメムノーン登場から1330行のカッサンドラ退場までの場面を取り上げ、三つの視点から考察してみたい。一つ目はアガメムノーンが紫貝で染めた絨毯の上を歩く、いわゆる「カーペットシーン」である。これは「紫貝」という言葉のイメージから、オレステイア三部作全体にいきわたる、流された血をめぐるイメージをどのように視覚化しているのかということ、および、舞台装置はどのようなものであるのかという問題である。二つめはカッサンドラの「沈黙」について考える。アイスキュロスにおける沈黙はアリストパネス『蛙』の中で揶揄された沈黙である。『蛙』の中で言及されている沈黙する人物はアキレウスとニオベーであるが、この作品で揶揄されているアイスキュロスの特徴的な沈黙はカッサンドラにも見ることができる。彼女は登場してから約300行沈黙し、コロスなどが話し掛けても、黙ったままであるが、突然、沈黙を破り、予言の言葉を発する。三つ目は、カッサンドラを第三俳優という点から考える。彼女はクリュタイメストラ、アガメムノーンと並び、第三俳優として導入されているが、この使い方はアリストテレス『詩学』によって最初にそれを導入したとされるソポクレスの使い方とは異なる。以上の三点からこの場面を視覚的、立体的にとらえてみたいと思う。

プロフィール:宮崎良久 明治大学大学院博士課程演劇学専攻在籍 古代ギリシア演劇研究


11月は日本演劇学会秋の研究集会(大阪・文楽劇場ほか、11,12日)があります。そちらへもご参加を。
次回例会は12月9日。

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●9月例会ご案内

9月の西洋比較演劇研究会例会の日時と会場をお知らせします。
ようやく秋になりました。例会の通知が大幅に遅れましたこと、お許しください。興味深い内容です。ふるってご参加ください。

日時 9月23日(土・祝) 午後2時〜6時
場所 成城大学 1号館121教室(2階)


シンポジウム『寺子屋の東西』

歌舞伎の代表的演目の一つである『菅原伝授手習鑑』(寺子屋)は忠義のために自分の息子を殺すというその特異な内容ゆえにか、20世紀前半にドイツをはじめとする欧米各国で翻訳され、上演された。また、M.C.マーカスによる英訳台本「マツ」は一九二九年九月に大阪・浪花座において新旧合同俳優からなる第一劇場によって「逆輸入」上演されている。本シンポジウムでは、田中徳一「中村吉蔵が見たドイツの『寺子屋』」、小笠原愛「ワシントン・スクエア・プレイヤーズの『ブシドウ』」、児玉竜一「浪花座の『マツ』」という三本の報告を中心にして、逆輸入版の上演としては先駆であったジョン・メースフィールド『忠義』上演などとも対照させながら、20世紀前半におけるオリエンタリズムおよび「オクシデンタリズム」(チェン・シャオメイ )の問題を考えたい。

田中徳一「中村吉蔵が見たドイツの『寺子屋』」
これまでの調査では、20世紀前半に、『寺子屋』のドイツ語訳あるいは翻案は5種類出ており、それぞれドイツ各地の名のある舞台に掛かっている。『寺子屋』のドイツ初演は1907年、ゲルスドルフの台本によってケルンのシャウシュピール座で行われ、翌1908年、同台本でラインハルトのドイツ座の室内劇場でベルリン初演が行われた。ベルリン初演の直前、請われて舞台稽古に立会った中村吉蔵によれば、松王を演じた名優カイスラーは、我が子の首を前に「涙潜々たる趣があった」という。今回はベルリン、ケルンでの初演を中心に、ドイツにおける『寺子屋』の上演を可能な限り実証的に検討し、日本の翻案劇が海外の舞台に掛けられることの意味あるいは問題について考えたい。

日本大学教授。比較演劇・ドイツ演劇専攻。著訳書に『演劇は異文化の架け橋』(栄光出版社)、『東西演劇の出合い』(新読書社)、論文に「『男は男だ』に見るブレヒトと歌舞伎の関係」(『比較文学』)、「筒井徳二郎の海外公演と西洋演劇人の反応」(『演劇学論集』)など。


小笠原愛「ワシントン・スクエア・プレイヤーズの『ブシドウ』」
 ドイツで舞台にかけられてから数年後、1916年にはアメリカでも「寺子屋」が上演されている。アメリカ小劇場運動の代表的な劇団であるワシントン・スクエア・プレイヤーズによって、ニューヨーク、ブロードウェイの劇場で『ブシドウ』と改名され上演された。この公演には在米中の伊藤道郎も加わり、他の一幕劇三編と共に舞台にかけられたが、劇団のこれまでの公演の中でも「もっとも興味深く成功したプログラム」という評価も受けている。在米邦人からも、「極く真面目な試み」と報告されたこの上演がどういうものだったのか、詳細を報告する。

明治大学大学院博士後期課程退学。明治大学兼任講師。専攻:近代の舞踊、演劇について各国間の比較研究。

児玉竜一「浪花座の『マツ』」
「寺子屋」の逆輸入版「マツ」は、昭和4年9月大阪浪花座で阪東寿三郎によって上演され、その翌月、東京本郷座において友田恭助によって「テラコヤ」として舞台に乗せられた。前者の資料は比較的多く、後者の証言は乏しい。そこで前者を中心に、SPレコードなどを交えてその詳細をうかがうとともに、上演に至る背景について、「西の左團次」と称された寿三郎の個性、関西劇壇の特質などを踏まえて紹介したい。

日本女子大学助教授。歌舞伎研究・批評。共著書に『カブキ101物語』(新書館) 『歌舞伎の20世紀』(演劇界増刊)『歌舞伎の四百年』(演劇界増刊)『芝居絵に見る江戸・明治の歌舞伎』(小学館)ほか多数。


司会
日比野啓    成蹊大学文学部助教授。演劇史・演劇批評。編著『からだはどこにある?
:ポップカルチャーにおける身体表象』(彩流社、2004年)等。論文に「怪しうこそ物狂ほしけれ:語り部=ヒステリー患者としての樋口一葉―井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』論」『國文学』第49巻第9号(2004年8月)等。

今後の例会予定:10月28日、12月9日、1月13日
西洋比較演劇研究会157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740
郵便振替口座番号:00150−2−9688


●7月例会ご案内

梅雨のうっとうしい日がつづきます。演劇学会全国大会が終わったばかりで気ぜわしいことと思いますが、夏休み前の最後の例会です。若手研究者の斬新なアプローチに期待して、ふるってご参加ください。

日時 7月15日(土)午後2〜6時
場所 成城大学 1号館2階、121教室

研究発表
1 新沼 智之「ルートヴィヒ・ティークの演劇改革 ― 想像力の演劇」
【要旨】
18世紀末以降のドイツでは、スター俳優中心の上演、さらにはスペクタクル性重視の歴史的再現主義の上演が圧倒的な力を持つようになり、19世紀前半を通してこの種の演劇が主流となる。
 そういった演劇状況に真っ向から挑んだのがロマン派の詩人・劇作家として知られるルートヴィヒ・ティーク(1773−1853)である。彼の演劇改革には二つの柱がある。まずスター中心の上演を批判してアンサンブル演技の重要性を標榜したことである。もう一つは、シェイクスピア研究を基盤に据え、舞台上の好古趣味とも言える歴史的再現主義を批判したことである。
 今回の発表では、後者の柱に重点を置く。ティークが目指すところは舞台の改革に留まらず、当時の観客の受容態度そのものさえも変革しようとする、まさに演劇改革であった。そこでは観客の想像力が必須の要素となる。このように観客の想像力を利用することで完成する演劇を、ティークにおける「想像力の演劇」と定義して、これを前後の演劇史の流れとも比較対照させ、その主張と実践の内容を解明したい。

【プロフィール】
にいぬま ともゆき
明治大学大学院 博士後期課程2年。ドイツを中心とした19世紀前半のヨーロッパ演劇を研究中。

2 大浦龍一「バーナード・ショーにおける演劇の『近代』」
【要旨】
 ジョージ・バーナード・ショーが、英国近代演劇の中心に位置することは言うをまたない。19世紀末英国における近代演劇運動の黎明から、第二次大戦後にまでおよぶ活動の長さといい、『人と超人』、『ピグマリオン』、『聖女ジョーン』などの幾多の名作を世に送りだしたことといい、その存在は傑出している。 
 しかし、ショーの演劇における近代性は、ある独特の性格を備えている。それは、同時代の他の近代演劇作家と比較すればわかる。ピランデルロをのぞく各国の近代劇作家のほとんどはシリアスな劇を書いていたのに対しショーは喜劇の作家である。この選択は何を意味するのだろうか。
 考察の手がかりとして、彼が当初、それによって名を馳せていた演劇批評家としての活動に着目しよう。熱心な近代演劇運動の擁護者としてのショーは確かに、リアリティのないメロドラマや、軽佻浮薄な笑劇を主とした旧来の因習的なヴィクトリア朝演劇の痛烈な批判者であった。けれども事実、ショーの戯曲には「前近代」のヴィクトリア朝演劇の様々なジャンルからの影響が見て取れるのである。では、それらはショーにおける近代性とどのような関係にあるのか?実はその関係性の内に、ショー流の「近代喜劇」誕生の秘密が隠されているのではないだろうか。彼の喜劇と現代劇との関係も踏まえて、ショーの『近代喜劇』の史的位地づけを考えたい。 

【プロフィール】
おおうら りゅういち
明治大学大学院文学研究科演劇学専攻博士後期過程中退。演劇学、イギリス近代演劇史専攻。日本バーナード・ショー協会会員。大阪芸術大学通信教育部非常勤講師。


新年度の会費まだの方はよろしく納入をお願いいたします。9月以降の日程は以下のように予定しております。(変更の場合もあります。)研究発表をご希望の方はfzc03200@nifty.ne.jp 井上までご連絡ください。
9月23日(土・祝) 10月28日(土) 12月9日(土) 1月13日(土)
●2006年度5月例会

5月の爽やかな陽気となりました。ゴールデンウイークも終わり、落ちついて研究にも熱が入ってきたことと思います。充実した成果を挙げていらっしゃる二方の研究発表。是非ご参加ください。

日時 5月27日(土) 午後2時〜6時
場所 成城大学 教室未定 (当日掲示をご覧ください)

研究発表
1 堤春恵 「新富座の“土人(アメリカ原住民)”」
明治12年に新富座で上演された「漂流奇譚西洋歌舞伎」の主人公、漁師三保蔵は、難船によって父と生き別れになり、米国の蒸気船に救助されてサンフランシスコに渡る。領事秋津の義妹若葉とともに大陸横断鉄道でニューヨークに向おうとするが、「米国砂漠原野」でアメリカ原住民の一団に襲われ、若葉は酋長に誘拐される。このような危難に遭遇しながらも終幕、パリのオペラ座で秋津や若葉と再会した主人公父子の幕切れの台詞は「外国のお方ほど親しみの深いものはない」であった。現代の目から観ると荒唐無稽としか言いようの無いこの設定はしかし、作者河竹黙阿弥と、黙阿弥に助言を与えたと考えられるジャーナリスト福地桜痴、そしておそらくはプロデューサー守田勘弥の三人が知恵を絞り合った結果、苦肉の策として編み出されたものだと思われる。今回の発表では、19世紀におけるアメリカ原住民とヨーロッパ系アメリカ人の関係、日本と西欧諸国の関係、それに対応する日本国内の政治的状況が、新富座の舞台を闊歩した“米国土人”のキャラクターにどのように反映されているかを考える。

プロフィール:つつみ はるえ
大阪大学大学院後期課程(演劇学・芸能史)中退、インディアナ大学東洋学部(日本学攻)学位取得。明治の歌舞伎と西洋演劇の関係、海外における日本演劇を研究。


2 日比野啓 「「喜劇」の誕生:曾我廼家五郎・十郎一座の初期の活動を中心に」
「喜劇」という言葉がどのようにして発明され、(再)概念化され、一般に流布していったかについて、先行研究の誤りを訂正しながらみていく。なかでも「喜劇」という言葉が流行する一つのきっかけとなった、曽我廼家五郎・十郎一座の成功にまつわる挿話には史実と反するものが多くある。本発表では、旗揚げとされている一九〇四年二月の大阪・浪花座の公演において「無筆の号外」が演じられたというのは真っ赤な嘘であり、また失敗に終わったとされている一九〇五年四月・五月の東京公演は少なくとも新富座・市村座では大入りの人気であったことなどを明らかにし、こうした嘘はすべて、五郎が後年自分たちの喜劇の誕生を神話化するために作り出したものであり、ぎゃくにいえば、こうした神話化作用によって「喜劇」の起源が捏造されたことを論じたい。

(プロフィール)ひびの けい 
成蹊大学文学部助教授・こまばアゴラ劇場客員学芸員。比較演劇・演劇理論。編著『からだはどこにある?:ポップカルチャーにおける身体表象』(彩流社、2004年)等。論文に「奴らはdrummer、やくざなdrummer―アメリカ演劇に見る『セールスマン殺し』の儀式―」『英語青年』第149巻6 号(2003年9月)、「演劇博士バルトロメウスの日本探訪」『ユリイカ』第35巻17号(2003年12月)、「怪しうこそ物狂ほしけれ:語り部=ヒ ステリー患者としての樋口一葉―井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』論」『國文学』第49巻第9号(2004年8月)等。
 
*新年度の会費の納入をお願いいたします。6月は演劇学会のため休み、次回は7月15日です。
*9月以降例会発表枠に余裕があります。希望の方は井上 fzc03200@nifty.ne.jphへ。

西洋比較演劇研究会157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740

郵便振替口座番号:00150−2−9688
●2006年度総会と4月例会

花冷えの季節、華やかで妖気漂う満開の桜も散りはじめました。新学期を迎えて、当会も張り切って再出発のスタートを切ります。今後ともご支援、ご協力をお願いいたします。

2006年4月22日(土)午後2時〜6時
場所:成城大学(教室未定 当日正門の掲示をご覧ください)

1 総会 午後2時〜3時

2 講演と討論 3時〜4時50分
  講師:宮下 啓三 氏
「ハムレットの沈黙  ―― 研究対象としての演劇について思うこと ――」

宮下啓三氏プロフィール:ドイツ語圏の演劇研究を中心に、小山内薫論、メルヒェン論、山岳の文化論など幅広く論じる。著書に『十八世紀ドイツ戯曲のブランクヴァース』『ウィリアム・テル伝説 ある英雄の虚実』など。慶應義塾大学名誉教授。

3 国際演劇コロキウム反省会 5時〜6時
  報告 毛利三彌・斎藤偕子・宮崎良久

 
7月までの例会予定日:5月27日、7月15日

*九月以降例会発表枠にまだ余裕があります。
希望される方は井上fzc03200@nifty.ne.jpまでお知らせください。