学会コラム | 日本演劇学会

追悼 原道生先生 優しい声に導かれて

公開日:2024-02-17 / 更新日:2024-02-17

 

伊藤 真紀(明治大学)

梅の画像

 2023年の11月も終わりに近づいた頃に、原道生先生の訃報が勤務先の大学の事務室から私のところに届きました。11月23日に逝去され、ご葬儀や告別式は、ご親族のみで行われたとのことでした。お元気にお過ごしだと思っていましたので、急な知らせを受けて本当に驚きました。原先生が歌舞伎や人形浄瑠璃の研究上で多大な功績を残され、また、歌舞伎学会等の研究者の組織や義太夫協会のような実演家の団体においても会長や理事といった重責を担われたことは良く知られていると思いますが、同時に先生は、ご専門の領域について文字通りの「門外漢」である私のような学生にも、本当に丁寧な指導をして下さる方でした。たとえば、私が日本演劇学会の全国大会で、はじめて大正期の能楽公演に関する口頭発表をした後に、懇親会の場で、会場内の先生方へ紹介してくださったのが原先生であったことは忘れられません。

 原先生のご逝去の知らせを受け取ったその日、自宅でしばらくの間、電話機(携帯ではなく卓上の)を眺めていました。先生と最後にお話したのは、2022年の秋のことで、先生が明治大学の図書館長をお勤めだった頃に、図書館のギャラリーで行われた「唐十郎展」のパンフレットを、大学のウエッブサイトで公開させて頂くためにお電話をしました。先生の執筆された挨拶文の公開についてのお願いでしたが、先生はいつもどおりの優しく、そして穏やかな調子の独特の声で、必要な手続きについても了解して下さいました。その時、先生は「電話がつながるのに時間がかかり、お待たせしてしまい……」と心配そうにおっしゃったのですが、それは、まったく「待った」と感じるような時間ではなかったのです。以前と変わらない、いかにも先生らしい丁寧なご配慮に恐縮するばかりでした。

 原先生は、1981年から2007年3月までの間、明治大学の文学部および文学研究科の日本文学専攻で、研究と同時に学生の教育にあたられ、その後は名誉教授となられました。私は日本文学の専攻ではなく、演劇学専攻の学生でしたが、ちょうど原先生が前任校から明大に移られた年に入学し、学部の3年生の時と、大学院生の時に先生の授業を受講しました。実に不真面目な学生でしたが、今でも印象に残っている講義があります。その頃はまだ、新潮社の古典文学アルバムの『近松門左衛門』(原道生・橋本治著 1991年)も出ていませんでしたので教科書はなく、先生は授業の内容を淡々とお話しされたように記憶しています。ある日、近松の生きていた当時の社会における人間関係、特に主従関係などについて述べられた時、少し声のトーンが変わって聞こえたのです。その時、「演劇というものも、社会のなかの一部なのだ」と思い、生意気な言葉で言えば、「腑に落ちた」ような気がしました。

 上に書いたように、真面目な学生ではなかったので、「後付け」になってしまっているかもしれませんが、先生が日本演劇における「身替わり」についてお書きになった「『身替り』劇をめぐっての試論-逆接的な『生』の意義づけ-」(『古典にみる日本人の生と死』笠間書院 金山秋男・居駒永幸との共著 2013年)のなかの、ひとつの章のタイトルを「弱者の果たす身替り-現世の人間関係の中で-」と名付け、「ことさらに『弱者の』という表現を用いることにした」とお書きになった、その心とつながる響きが当時の言葉にもあったため、私のような不勉強な学生にも伝わるものがあったのかもしれません。

 その後、私は学部を卒業し、10年以上経ってから大学院に入学して原先生に再会しました。その時もまだ、後に『近松浄瑠璃の作劇法』(八木書店 2013年)に収められた一連の「大織冠」論のような先生の重要なご研究のことも知らず、それどころか、そもそも古典文学の知識もゼロに等しい大学院生でしたが、それでも先生は実に懇切丁寧な講義をして下さいました。その後、大学で講義を担当することになってからは、いよいよ先生のご指導の有り難さを知ることになりました。先生は教室での講義のほかに学内の雑務でもご多忙でいらしたはずなのに、学生を劇場へ引率する際には、宛名を書いた封筒にチケットを入れて、ひとりひとりに手渡して下さいました。自分でも真似をしてみたことはあるのですが、先生のように、学生を伝統芸能の世界へいつのまにか誘うような、そのような見事な芸当は到底出来ません。

 原道生先生、いまも先生の声を思い出しています。研究という名の門の外でうろうろしていた学生も見捨てずに、あたたかい目で見守り、語りかけて下さったことに心より感謝し、あらためて先生のご冥福をお祈り申し上げます。

(文献名の引用に際しては敬称を略させて頂きました)


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