西洋比較演劇研究会 | 日本演劇学会

西洋比較演劇研究会

研究会からのお知らせ

西洋比較演劇研究会 2025年5月24日(第241回)例会のご案内

公開日:2025-05-14 / 更新日:2025-05-14

 連休が過ぎ、春(夏)学期の本格的長丁場に入りました。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 さて間際のご連絡で恐縮ですが、西洋比較演劇研究会では下記のように例会を開催いたします。
 ふだんより短い開催時間となりますが、登壇者一同大変気合いが入っておりますので、ぜひ多数の会員を対面あるいはオンライン会場にお迎えし、熱くも爽やかな研究のひとときを創出したい所存です。
 ぜひご参加ください。

  • 日時:2025年5月24日(土)14:00 ~ 16:00
  • 会場:成城大学 3号館 1F 312教室(オンライン併設:zoomリンクを前日までに送信)

プログラム

パネル・ディスカッション 「演劇ナラトロジーの可能性――劇テクストにおける発話主体の変化をめぐって―」

  • 進行・パネリスト・報告表題
    • 14:00- 導入 山下純照(成城大学)
    • 14:15- 竹内晶子(法政大学)「能における曖昧な話者」
    • 14:35- 關智子(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)「現代英語圏演劇に見る発話主体の曖昧化とその影響」
    • 14:55- 山下純照「発話主体の曖昧さを<自然化>する――岡田利規『三月の5日間』を例に」
    • 15:15- パネリスト討論
    • 15:30- フロア討論
    • 16:00  結論(最大で30分程度の延長がありえます。) 

趣旨

 ナラティヴ・ターンという語が、2000年前後から聞かれるようになって早くも4半世紀が経過した。この語はパフォーマティヴ・ターンという、1980年代から使われはじめた語を追いかけるように、またそれに重ねるようにして人文社会系のみならず医学・看護学・臨床心理学・社会福祉論・経営学などの分野で新しい流れの一隅を形成してきた。「物語」「言説」の代わりに「語り」という表現が用いられるケースが目立つようになった。もともと「物語」や「言説」に属していた「語り」の側面に、意識が向くようになったという現象だろう(従って、物語そのものがしばしばナラティヴと言い換えられる)。そして「語り」は、パフォーマティヴとの密接なつながりの中で浮上したものと言える。なぜなら、「語り」は語る行為、言語行為であって、元来パフォーマティヴな事象だからである。

 これと演劇はどう関わるのか。2つのことがすぐに思い浮かぶだろう。1つは、日本演劇は伝統的に、「語り」と深く結びついた形態であるということ。もう1つは、近代演劇と比べた場合の、現代演劇における「語り」の多用である。よって「語り」の観点から、日本の伝統ないし古典演劇と、日本と海外を含めた現代演劇とを共に論じるという比較演劇の試みが着想される。本例会のパネルの主題「演劇ナラ トロジーの可能性」はそこから来ている。

 この企てにおいて3つの重要な方針がある。

 まず1つ目は、理論的背景である。「語り」の理論としてのナラトロジー(物語論)との関連で、われわれの企てを考えたい。そこでパネルの導入部で山下は、ジュネットらの古典的ナラトロジーから、ハーマン以降のポストクラシカル・ナラトロジーへという流れの中で、今回のパネルの意義を見いだそうとするだろう。

 2つ目は、テーマの選択である。今回、われわれは「劇テクストにおける主語の変化」に焦点を当てることにした(この選択の理由については導入部で述べる)。発話者が交代したとは思えない発話の流れの中で、説明もなく、にわかに発話の主体が変化することがある。こうした現象を、どのように解釈すべきなのだろうか。しかもそのような現象が、時代と国を隔てて日本と海外の両方で観察されることをどう考えたらよいだろうか。個々のパネリストはそれぞれの専門分野から実例を持ちより、考察した上で、互いの事例について意見交換をするだろう。竹内は能の詞章、關は現代英語圏の劇、山下は現代日本の劇から事例をとる。

 3つ目の方針は、パフォーマティヴと「語り」の関係性にも可能な範囲で目配りしたいという点である。現代演劇では、「劇テクストにおける主語の変化」は、上演における俳優の身体を通じて、受容者である観客に提示されることが前提とされているのではないか。ただし、発話されるべくテクストに書かれている言葉と、それを発話する演者の関係性は、文化やジャンル、劇作家の意図といった複数の要因によって変わりうる。発話者が必ずしも特定の登場人物(character)ではないような場合も含めて考察したい。

報告要旨

竹内晶子 「能における曖昧な話者」 

 能の詞章においては、時として話者――舞台上でどの役者が発声しているかではなく、誰の言葉として発されているか――の特定が困難になる。そのような現象が生じる理由は、大きく二つに分けることができる。すなわち、1)そもそも人称という文法範疇が存在しないという日本語の文法上の特性と、2)「発話の主体」が必ずしも「発声する身体」に紐づけられないという、能という演劇ジャンルの上演特性である。
 本発表においては、この能における「話者の曖昧性」が生じる仕組みと、それが上演に際してもたらす効果とを、ナラトロジーを援用して分析する。その際、能の詞章の現代日本語訳・英語訳の様々な試みにおいて、この曖昧性がいかに「翻訳」されているかという点にも注意を払いたい。上演用台本という意図を持たないこれらの訳はクローゼットドラマの台本に近い存在と言えようが、曖昧な話者を生み出す能の特性を現代演劇にどのように活かせるかという点において、少なからぬ示唆を与えてくれると思われるためである。

關智子 「現代英語圏演劇に見る発話主体の曖昧化とその影響」

 現代英国演劇では、特に90年代以降に登場人物概念の変容や発話主体の問題化についての議論が行われてきた。レーマンが提唱したポストドラマ的演劇の受容は、大陸におけるそれよりはやや批判的であった他方で、明白にその流れに加えられ得る作品が複数発表されている。特に、登場人物と俳優の従来的な関係性に当てはまらないような作品や、演劇における発話行為、本発表でいうところの「語り」の行為を問題化し、「話しているのは誰なのか」という問いを観客の中に喚起させる作品が散見される。
 英国演劇研究の文脈では、これらの作品を登場人物概念の変容形として論じた先行研究が複数ある他方で、ナラトロジーと連結させたものは多くない。本発表では、まずそれらの先行研究における議論を整理する。代表的と呼び得る具体的な作品(Martin CrimpのAttempts on Her Life、Sarah KaneのCraveや4.48 Psychosisなど)における発話主体の問題化の様態を再検討した後、それらの作品が2010年代以降の作品に与えた影響について論じる。

山下純照 「発話主体の曖昧さを<自然化>する――岡田利規『三月の5日間』を例に」

 岡田利規の決して多数のというわけではないにせよ、代表作『三月の5日間』を含むいくつかの作品に見られる、1つの文、あるいは、ひとつながりの発話の中での、発話主体の<不自然な>変化は、読者を面食らわせるに十分だ。明らかに語りのモードについての意識的な実験であろう。こうした現象をしかるべく分析するための道具立ては、ある程度までは古典的ナラトロジーからも得られる。そこで報告ではまず古典的なシュタンツェルおよびジュネットにならった整理をおこなう。しかし、その議論は形式論的なものに留まるだろう。
 むしろ読者としてのわれわれは、劇というジャンルの前提とその歴史的状況を勘案し、異なるジャンル(小説版)や翻訳(英訳)との比較をも通して、岡田のテクストを文脈化することが求められる。このようなアプローチはポストクラシカル・ナラトロジーのそれとして位置づけることができる。その流れに位置づけられるフルーダニク(Monika Fludernik)の議論を参照し、<不自然な>発話主体の曖昧さがいかなる文脈で<自然な>現象になり得るかを考察する。

パネリスト・プロフィール

  • 竹内晶子(たけうち あきこ)
    • 法政大学国際文化学部教授。能楽研究、ナラトロジー研究、比較演劇。A Companion to Nō and Kyōgen Theatre (2 vols., Brill, 2024, 共編著)、「能とオラトリオ試論 合唱・ナレーション・宗教的機能という観点から」(松岡心平編『中世に架ける橋』森話社、2020年)、「語りとセリフが混交するとき――世阿弥の神能と修羅能を考える――」(『能楽研究』41、2016年)、他。
  • 關智子(せき ともこ)
    • 博士(文学)。早稲田大学演劇博物館招聘研究員、NY市立大学大学院客員研究員、ACC・NYフェロー。西洋演劇、現代英語圏演劇、戯曲論。著書に『逸脱と侵犯 サラ・ケインのドラマトゥルギー』(水声社)、共著に『紛争地域から生まれた演劇』(ひつじ書房)他。戯曲翻訳、演劇批評も行う。
  • 山下純照(やました よしてる)
    • 成城大学文芸学部・文学研究科教授。演劇理論(フィッシャー=リヒテ:共訳『演劇学へのいざない』2013、共編著『西洋演劇論アンソロジー』2019)、近現代のドイツ演劇(シラー、クライスト研究)、日本現代演劇(野田秀樹、岩井秀人、前川知大ら)、「演劇と記憶」「劇のナラトロジー」研究。論文についてはResearch Mapを参照。









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  • 基本的に西洋演劇研究を軸としつつも、比較の観点から広く演劇現象全般を見渡すという姿勢を貫いています。国際的な意識を持って活動する国内・国外の演劇人・研究者たちを招いて、意見交換をする場も設けています。

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