2021年度日本演劇学会大会報告(6月26日、27日 名城大学)
公開日:2021-10-19 / 更新日:2022-05-29
岩井眞實(2021年度全国大会 実行委員長)
オンライン開催というのは、実際にやってみるとなかなか乙なものです。
まず費用がかからない。学会事務局からは「予算が○○万円ありますので、お使いください」とありがたいお申し出を受けましたが、実際に発生した費用は大会案内の郵送費○千円のみでした。会場となる教室をおさえたり、案内表示をしたり、アルバイトの学生を教育したりする必要もありません。
参加する側にしても、名古屋くんだりまで足を運ぶ必要がない。せっかく来たのだからご当地の名物をと、気の進まない料理を口に運ぶこともない。また、たとえばボナヴェントゥーラ・ルペルティ先生がベネツィアからご講演くださったり、平田大一さんが沖縄から現地の雰囲気を伝えてくださったりすることも、オンラインでなければありえなかったでしょう。
むろん、これは2020年度秋の研究集会がオンライン開催され、そのノウハウの蓄積があってのことです。京都芸術大学の平井愛子先生および、企画運営委員の先生方にはいくら感謝しても足りません。また今大会開催にあたっても、企画運営委員の先生方、とりわけ大林のり子先生がテキパキと采配してくださり、テクニカルスタッフの皆さんが安定感抜群の仕事をしてくださいました。厚く御礼申し上げます。
白状しますが、大会の実行にあたり、私はいくつかのミスをおかしました。その一つは、間違ったzoomアカウントをお伝えしてしまったことです。名城大学はアカウントの移行期にあり、新旧2種類のアカウントが同時に走っていました。私は不具合のある「旧」の方を公開してしまったのです。テクニカルスタッフがすぐに対処してくださいましたが、「旧」にアクセスする人がいないわけでもない。そこで大会当日、私は研究室に2台のパソコンを置き、「新」のパソコンで大会の進行役を勤めながら、「旧」のパソコンで迷い込んだ人を「新」に誘導するということをしなければなりませんでした。加えてiPadでSlackというソフト(私は苦手なのですが)を立て上げ、スタッフと随時進行状況を確認しあいます。3台の端末を同時に扱うなど希有な経験でしたが、これはこれでなかなか乙なものです。
というわけで、オンラインも慣れてみると便利なことこの上ない。ここ1、2年でオンラインの学会・研究会・ワークショップのお誘いが急増したのも肯けます。規模やテーマにもよりますが、大抵のことはオンラインで済むことに、みんな気づいたのではないでしょうか。ついでに言うと科研費に打合せのための旅費を計上する必要性も疑わしくなりました(これは残念なことです)。
しかし待てよと、もう一つの声が聞こえてきます。
今回の大会のテーマは「臨界点の演劇」でした。言うまでもありませんが、新型コロナウイルスによって「現前」を本義とするパフォーミング・アーツは手痛い打撃を受けました。これを承けてのテーマ設定なのでした。他の研究領域ならともかく、「現前」を、言い換えれば対面でのコミュニケーションを最も大切にしなければならない演劇研究者が、オンラインも乙だなどと収まっていてよいのかということなのです。
私事になりますが、今年4月に我が師・鳥越文藏先生を失いました。お元気なときは、柳瀬川のご自宅にお邪魔して酒盛りになり、泊めていただくということがしばしばでした。先生は堅い話はお好きではありませんが、それでもどうしても学問の話に至ります。そこでドキリとするようなことが先生の口をついて出ることがあるのです。公にはできない、弟子だけに伝える学問的見解です。こういう耳学問にどれだけ勇気もらったことか。「飲みニュケーション」など、旧い人間の言い草かもしれませんが、私はその力を信じています。翻って、学会における懇親会の力も信じたいと思います。
話を全国大会に戻します。講演1件、対談1件、シンポジウム1件、パネルセッション2件、研究発表11件と、多岐に亘る内容でした。盛会であったと自負しています。ただ、演劇がどこに向かっていくのかという問題は、未解決のまま残されたと思います。映像をも取り込んで新しい時代を生き延びるのか、映像に絡め取られないメディアであり続けるのか。おそらくはその中間をさまようのでしょうが、いずれにせよこれは学会の宿題になったと思います。
私の奉職する名城大学の学生のほとんどは、演劇を観たことがありません。「演劇って何」という感じです。もはやサブカルチャーですらないのです。この「宿題」に学会を挙げて取り組まねばと、文化の最果てから強く思う次第です。(岩井眞實)