追悼 西村博子さん
公開日:2023-02-03 / 更新日:2023-02-03
井上理惠(桐朋学園芸術短期大学特別招聘教授)
日本近代演劇史研究会の創立メンバーであり、新宿タイニイアリスの主宰者であった西村博子先輩が亡くなった。2022年12月14日であったという。わたくしに連絡が入ったのは12月末、Twitter情報で知ったという研究会員からだった。
12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日だ。もちろん今は太陽暦だから江戸時代のその日とは異なる。が、近世演劇研究が主流の早稲田の演劇科の中で反旗を翻すかのように近現代演劇研究をしていた博子さんが、その生涯を終える日に選ぶなんて……と脈絡なく思ってしまった。
40年以上も前に早稲田で出会い、共に研究会で近代演劇研究を学問として成立させようと歩き続けてきた。卒業論文に唐十郎や野田秀樹を書く人たちがいる現在を思うと隔世の感がある。若い演劇人を後押ししたいと新宿に小さな劇場タイニイアリスをお連れ合いの丹羽文夫さんと始めたのが、1983年だった。その時、たしかわたくしは反対したと記憶している。研究者の片手間仕事では演劇運動はできないからだ。案の定お金がないといつもぼやき、わたくしはもうやめなさいと言い続け、しかし丹羽さんと博子さんは、2015年まで32年間続けた。そしてその記録は、タイニイアリスから巣立った演劇人によって『小劇場タイニイアリス』(芸術新聞社2015年)に集約されている。是非参照してほしい。
博子さんは三好十郎が好きだった。貧しい中で作家として自立したからだという。ご自身は富裕な出身であるくせにおくびにも出さず、1967~9年ごろに世界一周の演劇の旅を自費でしていたなんて一言も言わなかった。上記の本で初めて知ったわたくしは仰天したのを思い出す。そんな不思議な側面のある博子著の三好論は『実存への旅立ち――三好十郎のドラマトゥルギー』(而立書房1989年)で知ることができる。
それ以前やその後の研究論文は『蚕娘の繊絲――日本近代劇のドラマトゥルギー』Ⅰ・Ⅱ(翰林書房2002年)にすべて収められている。ドラマトゥルギーにこだわり続けた割には、資料探索と聞書きの仕事も多い。ずいぶん議論をして争ったことを思うと、音沙汰なしになって消えてしまった博子さんが懐かしい。もうすぐ四十九日、彼の地で透谷や三好に会うのかもしれない。叱られそうだが、ご冥福を祈ることにしたい。
論文のタイトル等々は、以下にあげた。
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