新たな規範の開発 第一回劇場実習『鹿鳴館』公演によせて
公開日:2023-04-21 / 更新日:2023-04-21
藤崎周平(日本大学芸術学部演劇学科)
私が勤務している日本大学芸術学部演劇学科は、理論科目と実践科目をカリキュラムの中心においています。入試の段階からコースを選び、入学後、自らの専攻を授業の選択をとおして具体化していくのです。演技コースでは、1~2年で理論科目の他、演技演習や実習で方法や技術を学び、加えて、それらを作品づくり、役作りの中で検証していくため、準備から上演までを行っていく、「総合実習」という授業が、2~3年次に各1本ずつ用意されています。「総合実習」では、自らが専攻するパートで参加し、それが単位となるわけです。演出家(非常勤講師)が演出を担当し、その他、装置、照明、音響、舞台監督、制作などのパートでは、教員の指導の下、学生がデザインのプラン、オペレートを行います。稽古場から舞台でのリハーサル、さらに本番まで含めれば、150~200時間程度の作業時間が必要です。登録は任意ですが、出演者はオーディションで選抜、スタッフもコンペでデザイナーが決定され、学生たちにはそれなりの準備と熱量の維持が求められます。
日本大学芸術学部は平成時代の30年間、1~2年は所沢校舎(埼玉県所沢市)、3~4年は江古田校舎(東京都練馬区)と、学年を分け、2キャンパスで授業を行っていましたが、2019年から江古田校舎を再整備して1キャンパス化を図りました。それに対応すべく、学則の変更が行われ、新たな看板授業として「劇場実習」が生まれ、その第1回目の公演が、2023年3月16日から19日まで、学部内の中ホールで行われました。劇場という場を総合実習のような発表の場にとどめず、作品と共に外部に発信していこうという試みです。
総合実習との差異は他にもあります。総合実習は基本、横割りで学年ごとに行うのに対し、劇場実習では縦割り、つまり、1~4年までが受講できます。また、総合実習では演出以外のパートはすべて学生が担当しますが、劇場実習では出演者以外は教員がデザインを担当する、つまり、教員が受講生と共に作品づくりを行うのです。作業場の環境をより外部に近づけようというもので、総合実習とは教員と学生の関係が異なります。ケースバイケースですが、教員は「教えない」という立場にもなる。
そもそも、職業演劇人の育成は徒弟制度の中で行われてきました。たとえば、伝統芸能の世界では内弟子制度があり、実演者の弟子は、師匠と共に日常生活を送り、その一挙手一投足に同期しながら、身体性の獲得に努めてきたし、美術や照明についても、チームが組織され、その共同作業の中で、育成が行われてきたのです。師匠がどんなに頑張っても弟子は育たない。教え好きの師匠もいるでしょうが、彼らができるのは、弟子が同期できる場の設定を行うことなのです。その場から何を選択していくのかが、弟子のセンスということになる。
大学では日常生活を共にするというわけにはいきませんが、劇場実習の場合、教員は作業場で自らの創作姿勢を示すことになります。受講生たちはその姿を見て何かを感じ取っていく。さらにそこに加わるのは、経験知と技術を持った学生(上級生)です。教員のみならず、経験者の振る舞いは反面教師的な部分も含め、確実に初心者(下級生)に影響を与えます。ただし、これは諸刃の剣であることも確かです。それが縦割りの力関係の中で一方的に展開していく可能性は十分にある。昨年はメディアで演劇界のハラスメントが問題化されました。教員といえども、これがプロの“現場”なのだと、一方的に押し付けるのも、学生の受け取りかた次第ではハラスメントとなります。それを回避するには、ガイドラインの設定と共有が必要なのはいうまでもありません。
第一回目の演目には三島由紀夫の『鹿鳴館』が選ばれました。写真は4幕のラストシーンでワルツを踊る影山伯爵と朝子です。戯曲では最後に「一同踊り狂う」というト書きがありますが、今回の演出(桐山知也)では、他の登場人物たちは退場し、舞台の左右奥から2人の姿を見据えます。暗闇の中でぼんやりと浮かび上がった姿は、死者たちの姿にも見える。そのシーンを観客が見守るわけです。数分間、2人の踊りが続く中、『鹿鳴館』の舞台を装飾していた仕掛けが、俳優やスタッフによって少しずつ撤去されていきます。中央のステージ以外はすべて消えると、2人は踊りをやめて退場し、暗転となって終演します。作品の設定となっているのは、1886(明治19)年の天長節(11月3日)ですが、そこから2023年3月までの140年近い時間経過がここに集約されている。死者たちという他者の視線もあって、劇場での上演という行為が問われるラストシーンでした。
演劇改良会が生まれたのは、鹿鳴館外交が真っ盛りであった1886年8月ですが、欧化の中で、「Theatre」が「演劇」「劇場」「シアター」に訳されたのを嚆矢として、日本の劇場・演劇用語には、様々な外来語が残っています。現在も増え続けているといってもいいでしょう。(「ダメ出し」は「ノート」となりました)その中で墨守されてきたのが「上手」「下手」という呼称です。この劇空間に対する意識が身体化され、作劇術はいうに及ばず、稽古場や楽屋までも支配し、人が動く。それが演劇界の規範となってきたのです。もちろん、その全てを否定するわけではありませんが、確認の必要はある。今、実践を扱う大学に求められているのは、劇の場に向き合うための、新たな規範の開発なのかもしれません。