研究会からのお知らせ
西洋比較演劇研究会 2024年12月(第238回)例会のご案内
公開日:2024-11-25 / 更新日:2024-11-25
今年もあっというまに年末です。加速する社会ですが、演劇を振り返り、研究の成果を分かち合う時間だけは確保し続けたいものです。今回は3つの発表となりますので、ぜひご参加ください。
- 日時:2024年12月14日(土) 14:00~18:00
- 会場:成城大学7号館1F 712教室
- 対面開催とZoomの併用となります。リンクは前日までに配信いたします。
- 非会員でオンライン参加を希望する方は12月12日までに簡単な自己紹介を添えて事務局(山下 y3yamash★seijo.ac.jp)までお知らせください。※★をアットマークに換えてご送信ください
研究発表
- 奥山裕介 14:00~15:15
- 「自知(selv-viden)に至る笑い——ルズヴィ・ホルベアの喜劇とデンマーク啓蒙」
- 松尾ひかり 15:20~16:35
- 「ミヒャエル・クンツェのミュージカル作品における〈分身〉とは ―文学研究における分身考察と比較して―」
- 小林英起子 16:45~18:00
- 「レッシング中期から後期の喜劇の構想と作劇法をめぐる一考察 ―レッシングの演劇論と翻訳『ディドロ氏の演劇』に照らして」
要旨
奥山裕介 「自知(selv-viden)に至る笑い——ルズヴィ・ホルベアの喜劇とデンマーク啓蒙」
「デンマーク文学の父」と称されるルズヴィ・ホルベア(Ludvig Holberg 1684-1754)は、コペンハーゲン大学で教鞭を執り、グロティウスやプーフェンドルフに代表される近代自然法思想の概説書、歴史書、随想集、諷刺詩、ユートピア小説のほか、総計36の喜劇を残し、啓蒙期ヨーロッパの代表的作家に数えられるに至った。モリエールやコンメディア・デッラルテ、プラウトゥスに範をとった喜劇の半数は、コペンハーゲンの小グラネゲーゼ劇場が開設された1722-23年の作である。500に満たない客席数ながら、当時人口7万人ほどの首都で劇場が連日満員になった事実は、市民文化形成途上の小国においてセンセーショナルを喚起した。他方、古典語教育や哲学論争の道具化という同時代的問題を諷刺した喜劇を神学徒に演じさせたことは、大学や教会による劇場批判を招いた。当日発表では、ホルベア喜劇の主題を観客公衆に対する「自知」の要求という文脈から考察する。とりわけ『エラスムス・モンタヌス Erasmus Montanus』(1722/23年作、1731年出版、1742年ハンブルク初演・1747年コペンハーゲン初演)に注目し、作中の衒学者的人物が担う道化的身ぶりが、同時代の「道具的哲学(philosophia instrumentalis)」を戯画化すると同時に、社会において知識人が占める位置の問い直しであったことを明らかにする。
松尾ひかり「ミヒャエル・クンツェのミュージカル作品における〈分身〉とは ―文学研究における分身考察と比較して―」
本発表では、いくつかの先行研究をもとに、文学研究における分身の考察を確認したうえで、ミヒャエル・クンツェのミュージカル作品に登場する〈分身〉の比較検討し、クンツェのミュージカル作品における〈分身〉の独自性を探ることを目的とする。
ドイツ語圏ミュージカルの第一人者であるクンツェは、代表作の『エリザベート(1992)』や『モーツァルト!(1999)』など、多くの作品に〈分身〉とも呼ばれている、またはそのような役割を持つキャラクターを重要な位置に配置している。その姿は作品ごとに異なるが、基本的にタイトルロールの一部の心情を受け持つ存在となり、彼もしくは彼女の心情の変化をより細密に、そして視覚的に表す役割を担っていると考えられる。
しかしながらクンツェが〈分身〉という名称を使用し、いくつかの先行研究内でも言及されているものの、文学で使用されてきた分身との比較検討を行った研究は、発表者が知る限りでは見受けられない。そこで、まず分身が文学に登場したとされるドイツ文学史におけるロマン主義作品を中心に分析したオットー・ランク『分身(1914)』と、20世紀の作品にまで範囲を広げ分析したエラン・ドーフマン『分身のトラブル(2021)』を中心に、改めて文学における分身の条件を確認する。特にドーフマンの、分身の自己同一性の見解を維持しつつも多様性を見出した考察に注目し、それらの条件とクンツェ作品の〈分身〉の比較検討を行う。
小林英起子「レッシング中期から後期の喜劇の構想と作劇法をめぐる一考察 ―レッシングの演劇論と翻訳『ディドロ氏の演劇』に照らして」
市民悲劇の発表で成功をおさめたレッシングは、ディドロの演劇に関心を持ち、ドイツ語の翻訳『ディドロ氏の演劇』(1760)を出版した。本研 究は1760年代のレッシング中期から後期の喜劇の構想と作劇法の特徴を、彼の演劇理論や『ディドロ氏の演劇』に照らして考察するものである。
レッシングの傑作喜劇『ミンナ・フォン・バルンヘルム』(1767)においては、初期の作品では少なかった、しぐさを示す表現やト書きが増え、人物の感情表現がより詳しくなっている。恋の駆け引きにより第五幕のハンドルングが遅延するが、感動の頂点が際立ち、タブローの絵画性も重視されている。未完の三幕喜劇『寝酒』(1767)や一幕喜劇『エフェズスの寡婦』(1767)の構想もあった。レッシングはハンブルク国民劇場のドラマトゥルクの職に就き、創作の関心を再び喜劇へ向け、新しい試みもしていた。
『寝酒』には三種類の草稿が残る。草稿1では大まかな場分けがなされ、草稿2では場分けと人物の配置とハンドルングが具体的になる。草稿3では人物配置に修正が入り、詳しい台詞が途中まで残る。この劇は三統一の法則からやや離れ、借金に追われる商人やほろ酔いの人物が登場し、前日から夜をはさみ翌日まで描かれる。1780年代にライプツィヒやマンハイム等で上演された。
『エフェズスの寡婦』は作者がC.F.ヴァイセと競い合って、古代ローマのペトロニウスの小話を喜劇へ翻案したものである。レッシングは同じく三つの草稿を段階的に用意した。上演を想定して台詞の一部とト書きを加筆したのが草稿3である。ディドロが提唱した職業・身分は守られ、下男役はおどけ者で喜劇性を担う。レッシングらしい博愛精神を持つ男女が構想された。納得がゆくまで推敲したレッシングの作劇法を紹介したい。
発表者プロフィール
- 奥山裕介
- 大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。摂南大学非常勤講師。専門はデンマーク文学。2024年11月より雑誌『すばる』(集英社)で評論「トランスプランターズ——〈果樹園〉を継ぐ者たちのデンマーク文学」を隔月連載。
- 松尾ひかり
- 明治大学、相模女子大学兼任講師。専門研究はドイツ語圏ミュージカル研究。
- 小林英起子(こばやしえきこ)
- 甲南大学、新潟大学非常勤講師などを経て、2009年10月より広島大学文学部教授。2020年4月広島大学人間社会科学研究科人文学プログラム教授。ドイツ演劇・文学専攻。レッシングやヴァイセをはじめとするドイツ18世紀の啓蒙演劇を研究している。