西洋比較演劇研究会例会案内  

2011年
西洋比較演劇研究会 公式サイトhttp://www.comparativetheatre.org

西洋比較演劇研究会2012年度総会 4月例会のご案内

 以下の要領で開催します。一年の総括であり、さまざまな新機軸が提案されます。
大勢の会員のお運びをお待ちしています。

日時 2012年4月14日(土) 14:00〜18:30
場所 成城大学7号館 733教室(予定)

総会 14:00〜14:45

例会 研究発表 14:50〜18:30
1 竹田恵子
ダムタイプによるパフォーマンス《S/N》(1994年初演)における主体に関する考察
要旨
 本報告にて上演分析の対象とするのは、芸術家集団ダムタイプにより創作されたパ
フォーマンス《S/N》(初演1994年)である。本報告において企図していることは、
新しい主体の在り方を提示することである。《S/N》は、古橋悌二が自分のHIV感染を
「手紙」にて複数の友人に知らせた後、創作が本格化した作品である。《S/N》冒頭
にてパフォーマーたちは「deaf」「homosexual」などと、自分たちの属性を示したラ
ベルを服の上に貼り付けており、自分たちは俳優ではなく、ラベルの通りの人間だと
述べる。舞台上の出来事であることから日常的な場面と同一視できないが、それらの
ラベルは事実を示してもいる。
主体に関しては、ルイ・アルチュセールやミシェル・フーコーによる、自己決定する
能動性を付与されると同時に、自身を従属化する受動性をもつという主体化=従属化
(assujettissement)の議論が存在した(Althusser 1970=1993;Foucault 1975=19
77, 1976=1986)。その後、ジュディス・バトラーによる主体は行為の反復の結果と
してつくられるという、主体の可変性や構築性を強調したパフォーマティヴィティの
議論(Butler 1990=1999, 1993)があった。しかしバトラーの理論が現実におかれた
とき、どのような様態となるのか、十分明らかになっているとはいえない。社会学分
野においても、パフォーマティヴィティ概念を用いた分析は行われているが、それら
は主として会話や法文分析の言語(特に「集合的カテゴリ」)に焦点を当てている。
したがって、身体的行為にまで目が行き届き、集合的カテゴリで説明できるものと説
明できないものの関係性を見ることができる上演分析によって、社会学的分析でのみ
ではできないものを提示できると考える。
本報告においてはパフォーマティヴィティとパフォーマンスの違いについても考慮し
ながら、《S/N》における、主体化しながらも、可能な限り従属化を排した可変的な
主体のありようを具体的な行為から提示する。

発表者プロフィール:お茶の水女子大学大学院 人間文化創成科学研究科 博士後期
課程(表象芸術論講座)所属。2007〜2011早稲田大学演劇博物館グローバルCOE研究
生。既発表論文に「ダムタイプによるパフォーマンス作品《S/N》(1994)における
アイデンティティの提示に関する考察」『演劇博物館グローバルCOE紀要演劇映像学2
009第1集』2010年、「「1990年代日本におけるHIV/エイズをめぐる対抗クレイムの
レトリック分析―古橋悌二の言説を中心に―」『年報社会学論集第24号』2011年など。

2 高橋慎也
「変容する具象絵画」としての岡田利規の舞台空間
要旨
 今回の発表では、劇作家・演出家の岡田利規の舞台空間を「変容する具象絵画」と
して捉え、その特徴をフィッシャー・リヒテの「パフォーマンスの美学」とレーマン
の「ポストドラマ演劇」の理論を用いて示してみたい。岡田は自分の演劇を語る際に
具象絵画との共通性によく言及している。それを踏まえて岡田が構築する舞台空間を
分析すると、セリフ回し、身体表現、舞台装置、舞台音楽といった、舞台の構成要素
がそれぞれに物質として現前するように演出されている点が明らかになる。またそれ
らの構成要素は同時に演劇記号としても表現されるので、観客は舞台構成要素の物質
としての現前性と、記号としての再現性の間で緊張感を保ちながら舞台を認知し認識
することができる。また岡田の舞台空間は視覚的にも聴覚的にも、様々な引用からな
る多層的かつ多声的空間である。この特徴はフィッシャー・リヒテが提示する「テク
ストのパフォーマンス性」という観点から分析することができる。また岡田の舞台に
は間(ま)ないしは中断が効果的に取り入れられ、舞台空間のシンボル的機能を高め
ている。つまり岡田の舞台には、抒情的で感動的でもある瞬間が散りばめられている。
これはレーマンが指摘する現在の「ポストドラマ演劇」の特徴に対応している。さら
に「ロスジェネ世代」の代表的劇作家・演出家と見なされている岡田の舞台空間は、
社会の縮図としての機能と、社会から相対的に自立した美的空間としての機能という
二律背反的な機能を併せ持ち、舞台空間の緊張度が高い点がその魅力となっている。
これは現代ドイツの代表的な劇作家と演出家にも共通している。ドイツ語圏で岡田が
現代日本演劇の代表的劇作家・演出家として評価されるのは現代ドイツ演劇、特にポ
ストドラマ演劇の代表的舞台との共通性に負っているとみることができる。

発表者プロフィール:中央大学文学部ドイツ語文学文化専攻教授。ドイツ演劇と文学
の両方を研究分野とする。近年は主に現代ドイツ演劇の戯曲、上演、理論の研究、特
にレネ・ポレシュ、クリストフ・マルターラーのポストドラマ演劇研究、アンドレー
ス・ファイエル、リミニ・プロトコルのドキュメンタリー演劇研究、「パフォーマン
スの美学」研究を行う。


西洋比較演劇研究会1月例会のご案内

皆様、新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

 さて、年度最後の例会を下記のように開催します。昨年度から始めたSession in Englishの第3回目になります。発表者の日比野啓氏(成蹊大学準教授)は今更ご紹介するまでもなく現在の日本の演劇研究を推進する中核の一人であり、本会運営委員(紀要編集委員)でもあります。中島那奈子氏は成城大学大学院・ニューヨーク大学パフォーマンス研究科修士課程終了後、2006年ニューヨーク大学客員研究員、Jacob's Pillow Dance Festival研究フェローをへて、2010年ベルリン自由大学演劇研究所で論文『踊りにおける老いの身体』で博士号取得、2010年ベルリン自由大学助手。2011年より日本学術振興会特別研究員(PD)。2004年からダンス・ドラマトゥルクとしても活躍されています。

 時間は通常よりも短めの例会ですが、内容は一層濃くしたいと願っています。西洋比較演劇研究会の看板にふさわしく多数ご参加いただければ幸いです。

なお、レジュメについては次のリンクをご覧ください。
http://www.comparativetheatre.org/?p=163

日時 2012年1月21日 15:00ー18:00
場所 成城大学7号館 723教室

Sessions
1 Kei Hibino (Seikei University)
Oscillating Between Fakery and Authenticity: Hirata Oriza’s Android Theatre

2 Nanako Nakajima (PD, Tokyo/Berlin(FU), Dance Dramaturg)
Aging Body in Dance: Researching Images of Children and their Perspectives


西洋比較演劇研究会12月例会のご案内

皆様、いかがお過ごしでしょうか。本年度第5回例会となる12月例会を開催いたし
ますので、ご案内申し上げます。いずれもベテラン研究者の、長年の蓄積の上に立っ
た発表です。何かとご都合の重なるところかとは存じますが、万障お繰り合わせの上
ご出席賜りますよう、企画委員として心からお待ちしております。

日時 2011年12月10日(土) 14:00―18:00
会場 成城大学7号館2F 723教室

研究発表:

1 曽根雄次(マッコリー大学、オーストラリア)

日本的擬人化の思考と石黒浩のロボット哲学論

要旨
旧来のシアター・スタディーズの研究対象とする範囲をこえる広範な文化現象を含むパ
フォーマンス・スタディーズの観点から、私は現在、エンターテーメントとしてのロボ
ット・スペクタクルに注目し、日本におけるテクノロジーと人との関係性を研究してい
る。
 日本のエンターテーメント・ロボットが、西洋的な「人間」対「機械」、「虚」対「
実」という二分法では割り切れないところで機能することを考える場合、日本の観点か
ら(つまり、ジャパニーズ・スタディーズの観点から)の新たな理論が必要とされる。
 このような日本の文化的特性を論ずることは、表象、オブジェ、パフォーマンス、観
客の受容力といった諸要素が複雑に絡み合う構造に光をあてることを意味し、(西洋に
おける)ロボットとの関係性や、エンターテーメント・スペクタクルの研究一般にも新
たな視点をもたらすものである。
西洋比較演劇研究会への初報告では、ヒューマノイドとアンドロイドの製作・実験で
内外に知られるロボット工学の第一人者としての大阪大学・石黒浩教授の研究を取り上
げ、平田オリザ(青年団/大阪大学)との演劇実験を中心に分析を試みる。石黒教授は、
工学的研究に限らず脳科学者や認知学者との共同研究、また、ここ数年は平田とのコラ
ボレーション等、幅広い活動で知られるが、これらの活動の元を成すのは「ロボットは
人間を映す鏡である」という石黒氏本人の哲学的命題である。石黒氏の著作(2011
、2010、2009、2007)は、彼が直接又は間接的に関わって来たロボット実
験の工学的説明と共に、ロボットに関する氏の哲学論を綴るものである。工学者とはい
え氏の哲学論に見え隠れするのは、日本神話、神道、仏教に発する擬人化という文化的
背景である。
 今回のセミナーにおいては、石黒氏が、演劇実験の上でロボットは観客に容認され
ていた、と説明するとき、日本的擬人化の伝統的思考が氏の思考の上でどのように再
生、再経験されているかを検討する。

発表者プロフィール 曽根(芸術学博士)は現在、マッコーリー大学(オーストラリ
ア、シドニー)のメディア、音楽、コミュニーケーション、文化学学科にて常任講師
として教鞭をとっている。自身の創作活動のアプローチを元に、文化学とシアター・
スタディーズを並立させる独自の教育方法で、劇場における実践としての人文学を目
指している。リサーチの対象は演じる「もの」、テクノロジー、劇的空間の交差とい
う視点から浮かびあがってくる概念としての「媒介される身体」または「身体的現象」
である。日本の例を行使しながら、比較文化論を通してパフォーマンス・スタディー
ズの分野での新たな論の構築を目論んでいる。曽根の論文はPerformance Research,
Performance Paradigm, AboutPerformance, Visual Communication等の学術雑誌、ま
たは Performing Japan:
ContemporaryExpressions of Cultural Identity (2008)、The Ends of the 60s:
Performance, Media and Contemporary Culture (2006)等の本にて発表されている。

2 山下一夫(慶應義塾大学)

中国における影絵人形劇と地方劇
 
要旨
 中国西北部で実施した影絵人形劇の調査をもとに、中国における人形劇と地方劇の関
係について考えてみたい。
 中国は全土に様々な種類の影絵人形劇が分布しており、知られざる「影絵人形劇大
国」である。しかし、かつて孫楷第氏と周貽白氏との間に交わされた中国演劇起源論争
によって、影絵人形劇は「曲芸」に類するものとされて、演劇研究から切り離され、研
究上の「空白地帯」となっていた。近年、中国が無形文化遺産保護政策に乗り出したこ
とで、影絵人形劇は中国の伝統文化の重要な一脈としてにわかに注目を浴び、さかんに
研究されるようになったが、それらは起源論争の影響もあって、影絵人形劇を自律的に
成立している分野と見なす傾向が強い。
 しかし、例えばある地域の影絵人形劇の種類について検討する場合、他地域の影絵
人形劇と比較するよりも、音楽や台本などの面において多くの共有点を有する、同一地
域の地方劇を取り上げた方が有効である。また、決着していたはずの中国演劇の起源論
争も、近年曾永義氏によって孫楷第氏と周貽白氏の説を止揚し 起源を多元的に捉えよ
うとする観点が提出され、その再検討が迫られている状況 にある。
 発表者はこうした点から、影絵人形劇と地方劇の関係を経済環境による転換現 象と
みなし、両者を統合的に捉えることで、中国の伝統演劇について新たなパー スペクテ
ィブを得るとともに、諸外国の伝統演劇と比較した場合の共通性および 独自性につい
て探ってみたいと思う。

発表者プロフィール 慶應義塾大学理工学部准教授。慶應義塾大学文学研究科中国文
学専攻博士課程単 位取得退学。神田外語大学外国語学部専任講師、同准教授を経て現
職。専門は中 国の通俗小説・伝統演劇・民間信仰。編著に『北京なるほど文化読本』
(共編、大修館書店)、論文に「『封神演義』通天教主考」(『道教と共生思想』所収
)、「中国ライトノベルとは何か―その分類と郭敬明の位置付け」(『中国同時代文
化研究』第3号)、「東北皮影戯研究のために―凌源および哈爾浜」(『中国都 市芸
能研究』第九輯)など。


●西洋比較演劇研究会10月例会のご案内

台風とともに秋めいて参りました。暑さに疲れた脳髄には慈雨ですが、土砂災害に遭われた地方にフィールドワークなどされたことのある方は複雑な思いでしょう。ともあれ、色々な意味で区切りの時節、会としても今演劇年度後半に向け助走をはじめたいものです。

日時 2011年10月1日(土) 14:00 〜 18:00
会場 成城大学2号館1F 大会議室
内容 国際演劇学会2011(大阪)参加報告ならびに検討会

報告1
小菅隼人・山下純照・・・「実行委員の立場から:開催にいたるまで」 
萩原健・・・・「一般発表者の立場から(1)」
高橋慎也・・・・「ワーキング・グループ参加者の立場から」
討論1 「報告1に関して」
    
報告2
星野高・江口正登・・・「New Scholars’ Forum 発表の立場から」 
討論2 「報告2を受けて、国際学会と若手研究者のかかわりについて」
    
(休憩)16:00〜16:10
 
報告3 
小菅隼人・日比野啓・森佳子・・・「一般発表者の立場から(2)=上映会、共同パネル」
毛利三彌・永田靖・・・「全体を振り返って」
討論3  「IFTR2011と演劇研究の今後について」

司会 山下純照

*IFTR大阪の英文要旨集を実行委員会より若干、融通いただける可能性があります。例会に参加されるかたで要望のおありの場合は、9月24日までに山下(y3yamash@seijo.ac.jp)までお知らせください。なるべく例会に間に合うように努力しますが、事後になってしまった場合は着払いでお送りするという方法でご容赦いただきたく存じます。また残部状況いかんではご要望に応じられない場合もありますこと、あらかじめご了承ください。

*分科会紀要『西洋比較演劇』Vol.11 のウェブ学術誌としての編集体制が整いつつあります。その現段階でのイメージについても報告できればと念じております。

*例会終了後、18:15より成城大学7号館地下ラウンジで、今年度の正式な懇親会を行います。これは成城大学に学会開催支援金を申請するために必要な催しですので、ふるってご参加ください。なお懇親会のみのご参加も可能です。


『西洋比較演劇研究』第11号 原稿募集 

投稿締切: 2011年12月末

ご存じのように、西洋比較演劇研究会紀要『西洋比較演劇研究』は新たな編集チームの下で、来年3月末に刊行予定の第11号から電子ジャーナルとして新たなスタートを切ることになりました。つきましては、この新しい号への論文を募集しますので、会員の皆様はふるってご応募ください。投稿論文は、編集委員会が付託する外部査読者による査読を経て、最終的な採否が決定されます。詳しくは添付の「投稿規定」をご覧ください。

なお電子ジャーナル化するとのことで、皆様には何かと不安もあろうかと思います。それに関して以下に簡単に補足します。

(1) 電子ジャーナルとしての「西洋比較演劇研究」は、独立行政法人科学技術振興機構によって運営され、わが国で刊行されている各種の電子ジャーナルを集めたポータルサイト「J-STAGE」にアップロードされます。このサイトにアップロードされた電子ジャーナルは国立国会図書館の書誌情報に含まれますので、「西洋比較演劇研究」も事実上、国立国会図書館に収蔵されているのと同じことになります。従って学術情報を検索する場合、むしろヒットする確率が高くなります。「J-STAGE」のURLは以下の通りです。

http://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja

(2) 紙媒体の紀要では、刊行後著者に一定部数の抜き刷りをお渡ししていましたが、電子ジャーナル化された「西洋比較演劇研究」では抜き刷りは廃止されることになります。ただしアップロードされた論文は、PDF形式でダウンロードして、必要な部数をプリントアウトすることができます。アップロードされる論文は、予めプリントアウトを想定して組版されますので、従来と比較して特に見栄えが悪くなることはありません。

(3) さらに第11号では、今回論文を募集する日本語版とは独立して、英語版の刊行を検討中です。この英語版(Comparative Theater Review)に関する投稿要領については、近日中に改めてご案内します。ただし現時点では英語版も日本語版と同時に刊行することを考えています。

(4) また日本語版、英語版とも、応募論文に関して、従来よりも細かい書式を定めた「執筆要領」を作成する予定です。この「執筆要領」は遅くとも9月中には完成する見込みです。そこで投稿希望者はとりあえず小田中まで投稿の意志をお知らせください。

その他、質問などありましたら小田中(odanaka@lit.osaka-cu.ac.jp)までメールで問い合わせてください。その場合、メールの「件名」(Subject)欄に必ず「西洋比較演劇研究に関して」と明記してください。


西洋比較演劇研究会7月例会のご案内

節電が呼びかけられていますが、会場では必要な冷房はいたします。
気鋭の発表ですので、どうぞ多数の皆様のお集まりを期待いたしております。

日時 7月16日 午後2時〜6時
場所 成城大学
  *会場の詳細は当日、正門の立看板でご確認ください。

研究発表
1 村島彩加
 七代目松本幸四郎の演劇写真利用 --“Making Up”の影響による扮装研究を中心に--

要旨
 現在では、「生涯に1700回以上『勧進帳』の弁慶を演じた役者」として、また、戦後歌舞伎の牽引者である三人の名優:十一代目市川団十郎、二代目尾上松緑、初代松本白鸚の父として知られる、七代目松本幸四郎(1870〜1949)が、その若き日に写真術に熱中していたことは、ほとんど知られていない。
 しかし、彼の役者としての人生を通観してみると、彼が積極的に演技研究に写真を用いた最初の役者であったこと、また、写真術の習得に関わる人脈や、海外の演劇写真から得た影響が非常に大きいことに気付かされる。
 その成果が最もよく表れているものとして、明治40年代初頭の『演芸画報』に掲載された数枚の研究写真や、現在では全く省みられることのない、新作・翻訳物における彼の工夫を挙げることが出来るのではないだろうか。
 本報告では、彼が八代目市川高麗蔵を名乗っていた明治30年代後半から40年代に蒐集した海外の演劇写真、特に彼が扮装術の研究に用いたとされる演劇書“Making Up”(James Young,M.WITMARK &SONS.1905)の紹介と同書からの影響を中心に、従来ほとんど指摘されなかった幸四郎の翻訳・新作物における工夫とその評価と共に、彼が積極的に扮装研究を行っていた明治40年前後における「表情」に対する関心の高まりについて検証することを目的としたい。

2 根岸徹郎
 詩人=大使ポール・クローデルの『女と影』と1920年代の日本

要旨
 経済、通商問題に通じた外交官として評価の高かったポール・クローデルは、1921年(大正10年)11月に駐日フランス大使として東京に着任し、その後1927年(昭和2年)2月まで日本に滞在した(ただし、そのうちの一年間は休暇で帰国)。そしてその間に、東京日仏会館と関西日仏学館の設立に尽力し、また懸案だった仏領インドシナの関税問題解決にも力を注いだ。ただ、日本では当初から外交官としてよりもむしろ文学者としての面に関心が集中し、メディアからは詩人=大使という呼び名が捧げられた。
 一方、その当時、新たな舞踊を模索していた歌舞伎俳優の中村福助(五世)が率いる羽衣会は、さっそくこの評判の詩人大使に注目して、彼がニジンスキーに触発されてブラジルで書いた作品『男とその欲望』(1917)の上演許可を求めた。これに対してクローデルは、日本向けに新たな作品を書き下ろすことを申し出た。こうして生まれたのが、『女と影』(1922)である。この舞踊劇は最終的に1923年3月、帝国劇場で羽衣会に松本幸四郎を加えた俳優陣、杵屋佐吉(四世)の音楽、鏑木清方の美術で上演された。ただし、その評判はけっして芳しいものではなく、正宗白鳥などから手厳しい批評が寄せられている。
 今回の報告では、この『女と影』に注目し、この小品がクローデル作品の中で占める位置を考えると同時に、1920年代の日本という状況の中に置くことで、この上演が持っていた意義と、それに対する人々の反応を検証しながら、日本に来たことで生じたと思われるクローデルの意識の変化まで視野に入れた上で、20年代という時代の特色とクローデルの関わりをもう一度捉えなおしたいと思っている。


西洋比較演劇研究会5月例会のご案内(追加)

詳細が決まりましたので、改めてお知らせいたします。

日時 2011年5月28日(土) 14:00- 18:00
場所 成城大学2号館1F大会議室

内容 『西洋比較演劇研究』第10号(2011年3月刊)
    掲載論文合評会

 執筆者:和嶋忠司・北野雅弘・玉垣あゆ・片山幹生・阪本久美子・
 安田比呂志・森佳子・伊藤愉・江口正登

例年通り、紀要掲載論文の合評会を開きます。今号の論文執筆者は9人ですが、うち掲載最後の2名、伊藤、江口両氏は、都合で出席できないとのことですから、合評対象の論文は、その他の執筆者による7篇となります。

数が多いので、1篇約30分あてになります。したがって、特にあらかじめ質問者を決めておくことはせず、まず執筆者本人から3分程度の話をしてもらい、わたしが1,2の質問をして皮切りをし、すぐに、出席者による自由な質疑、討論に移りたいと思っています。合評の順序は、掲載順とし、わたしが司会を務めさせていただきます。

活発かつ有意義な合評会になるために、必ず掲載論文を読み、疑問点、論評点などを用意しておいてくださるようお願いいたします。(毛利三彌)
●西洋比較演劇研究会4月総会・例会のご案内(追加)

4月9日14:00-18:00に行われます西洋比較演劇研究会4月総会および例会の会場につきまして、会場の都合により変更が生じましたのでお知らせします。

変更点 
 場所 成城大学 法人棟3階大会議室 
 
 懇親会は中止になりました。
●事前勉強会延期のお知らせ

東北地方太平洋沖地震以降の諸般の事情を鑑みて、3月23日に予定されていた、シンポ
ジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」事前勉強会を当分の間延期とします。新し
い日程が決まり次第、ご連絡いたします。(文責・日比野啓)
●西洋比較演劇研究会4月総会・例会のご案内

 皆様、地震による被害はございませんでしたでしょうか。ご無事を祈りつつ、
前を見つめて以下のご案内を差し上げますので、どうぞ多数のご参会をお願いいたします。

日時 4月9日(土) 14:00?18:00
場所 成城大学(詳しくは後日ご連絡します)

1 2011年度総会 14:00?15:00
2 新刊書評討論 15:00?18:00
斉藤偕子『19世紀アメリカのポピュラー・シアター 国民的アイデンティティの形成』 論創社 2010年12月

  報告者 常山菜穂子(慶應義塾大学) 神山彰(明治大学)
  各30分程度ご報告いただき、その後参加者全体で討論します。

なお例会後、今年度の懇親会を行います。こちらもどうぞふるってご参加ください。

西洋比較演劇研究会連続シンポジウム企画「スタニスラフスキーは死んだか?」
事前勉強会第一回のお知らせ(文責:日比野啓)

 西洋比較演劇研究会では2011年度後期から2012年度前期にかけて連続シンポジウム「スタニスラフスキーは死んだか?」を開催する予定ですが、その司会者候補である井上優(明治大学)、熊谷保宏(日本大学)、日比野啓(成蹊大学)が集まり事前勉強会を三回にわたって行います。
 勉強会は公開とし、みなさまからの意見をうかがい議論をおこないたいと思います。ふるってご参加ください。第一回は前半でメソッド/アクターズ・スタジオについてアメリカで2000年代に行われた見直し論を概観し、後半で竹内敏晴によるスタニスラフスキー理解とそこからの発展を見て行きます。
 なお、第二回・第三回は7月および8月に実施することを考えています。

日時 3月23日14-18時
場所 日本大学芸術学部江古田校舎 E204(東棟2F)
テキスト David Krasner, "I Hate Strasberg" from Method Acting Reconsidered(Palgrave Macmillan, 2000) + 竹内敏晴『レッスンする人』(藤原書店、二〇一〇年)pp. 223-231そのほか
(これらのテキストのpdfファイルは以下からダウンロードできます。今後追加されるファイルもこのフォルダからダウンロードできます)
http://goo.gl/gGtbU

●1月例会のご案内

2011年8月のIFTR予備研究発表会の2回目を行います。12月11日の1回目は
17名の参加者があり、初の英語例会としてはまずまずの「盛会」でした。
国際学会経験の豊富な会員を軸に、会場からも核心を突いた質疑がなされ、
有意義な会となりました。2回目にもご期待ください。

日時 2011年1月8日(土) 午後3時〜6時
  *午後2時開始ではありません。
場所 成城大学  
  *会場は当日に正門の立て看板掲示でご確認ください。

1 SUZUKI, Miho
On the Representation of Revolution: Caryl Churchill's *Mad Forest* As a "M
etamedia" Drama

2 AOKI, Naoko
The Structure of the Puppet Theater and Japanese aesthetics

3 INOUE, Masaru
Toyo-o Iwata's anti-interculturalism

4 YAMASHITA, Yoshiteru
Actualizing Zeami: YAMAZAKI MASAKAZU's *The Spirit of Playing* (1983) and its
Consequences in the Light of Contemporary Performance Theories and Practices.


12月例会

皆様お元気でしょうか。あっと言う間もなく師走。暦が間違っていると思いたいですが、現に来年はもうすぐそこです。8月には大阪で国際演劇学会があり、準備が進められています。予備発表会として、本会はじめての英語での研究発表と質疑応答を行いますのでご案内いたします。

日時 12月11日(土)午後4時〜6時

      (午後2時開始ではありません)

場所 成城大学 7号館723教室

1 Hoshino, Takashi
  The Teigeki Theatre(Tokyo, 1911- 1929) in Context of the Urbanization in the  Early 20th. Century.

2 Hagiwara, Ken 
The City as Stage, the Audience as Performer: "Tour-Performances" by the Pe rformance Group Port B in Tokyo.

(発表原稿のドラフトについては再度お知らせしたいと思っています。)

運営委員のかたは午後2時に本部棟(正門左)3階ラウンジにお集まりください。


11月特別例会

すでに趣旨につきましては事前通知で申し上げましたが、詳細が決まりましたので、お知らせいたします。ふだんと違う時間帯ですが、創作の現場と直接、言葉が交わせる稀な機会です。多数のご参加を希望いたします。

日時 2010年11月13日(土) 16:00〜20:30

場所 成城大学2号館1F大会議室

懇談・討論会

文学座合同企画 「文学座アトリエの会60周年記念連続公演を語る」

セッション1 鐘下辰男作『ダーウィンの城』について

  高橋正徳(演出)× 山下純照(西洋比較)

セッション2 マロリー・ブラックマン原作、ドミニク・クック脚本、中山夏織訳

       『カラムとセフィーの物語』について

  最首志麻子・友谷達之(制作)×大浦龍一(西洋比較)

セッション3 エウリピデス作 山形治江訳『トロイアの女たち』について

  松本祐子(演出)× 宮崎良久(西洋比較)

*セッション2で参加を予定していた高瀬久男氏は病気入院のため残念ながら不参加となりました。


11月特別例会 事前お知らせ(文学座アトリエの会と合同企画)

「文学座アトリエの会60周年記念連続公演をめぐって」(仮題)

日時 2010年11月13日(土) 午後4時〜8時

場所 成城大学 2号館1階大会議室

この特別例会は、西洋比較演劇研究会の会員でもある文学座アトリエの会企画事業部の最首志麻子・伊藤正道と、西洋比較演劇研究会例会企画責任者の山下純照の間で、数ヶ月にわたり協議した結果、このような形になったものです。まずアトリエの会の立場からこの催しにかける意図と意気込みについて、添付文書「アトリエ60」をご覧いただきたいと思います。なお同文書は後に貼り付けたものと同じ内容です。同文書で交流会とありますのが、西洋比較演劇研究会の11月特別例会となるものです。お読みくださればおわかりの通り、9月〜11月の同会の3演目を演劇研究者としてのわれわれが見た上で、3演出家(松本祐子・?瀬久男・高橋正徳)を交えて話し合おうという試みです。ただし、「交流」や「話し合い」のスタイルについては、これから詰めていく段階ですが。9月の演目はもう目前ですので、観劇申し込み(割引セットあり) のタイミング上、いま御案内申し上げる次第です。一方向的なポスト・パフォーマンス・トークとはひと味もふた味も違う企画にしたいと念じておりますので、皆様なにとぞ積極的にご検討ください。

 なお、出演者など詳しい公演データがご入用の方は企画ファイルをお送りすることもできますので、ito@bungakuza.comまで、件名に「西洋比較演劇研究会」としてご連絡ください。

文学座アトリエの会は、常に時代とその時々の「熱」を題材にしながら作品が生まれ、その節目には普段上演できないような作品を発表してきました。40周年には『グリークス』三部作を、50周年にはレパートリーシステムで『マイシスタ―・イン・ディス・ハウス』『ザ・ウイアー(堰)』『エレファント・マン』を日替わり上演しました。そして60周年にあたる今年のテーマは“諍い”。いつまで経っても戦争、紛争は終わらず、いろいろな差別がある。このような社会の中で演劇はどのような表現が可能なのか?そして私達はギリシャ悲劇から現代劇までのこれら3作品を選びました。

トップバッターの『トロイアの女たち』は日本人には馴染みの薄いギリシャ悲劇ですが、戦争に負けて夫や息子を失い、捕虜や、妾とされる女たちの嘆きや絶望、「命令には逆らえない」という男たちの姿など、2400年以上前でも人間の業、戦争が引き起こす悲惨さは変わりません。1999年に文化庁芸術家在外研修員として英国で研修し、そこで人種間の軋轢を初めて実感したという松本祐子は、帰国後、文学座アトリエの会にて『ペンテコスト』『ホームバディ/カブール』など異文化間の対立を描いた問題作を演出しました。今回この『トロイアの女たち』で、根源的な剥き出しの人間の苦しみや憤りに向き合いたいと言います。

第二弾は黒人女流作家マロリー・ブラックマンの小説を戯曲化した『カラムとセフィーの物語』(原題『Noughts & Crosses』(○×ゲーム))。ロイヤル・コート芸術監督であるドミニク・クックの脚色・演出により、2007年RSCのクリスマス・プログラムとして初演、「何がカラムをテロリストに仕向けたのか」という衝撃的な舞台は「壮大なる叙事詩」として評価されました。異なる人種の狭間でもがき苦しむ現代版“ロミオとジュリエット”の、人を分け隔て、憎しみ合い、殺しあうことのやるせなさや哀しさが、胸を打ちます。最後の『ダーウィンの城』は、人間の隠された内面のリアリティを深くえぐりだす劇作家鐘下辰男さんの書下ろしです。都内の湾岸地区に立つ、超高層マンション。まわりは3メートル強の塀で囲まれ、関係者しか出入り出来ない“ゲーテッドマンション”は、市場重視の自由競争の“勝ち組”が住み、勝ち組であり続けるために自身に危害を加えるであろう「他者」を「監視」し「排除」しようとする、そんな現代社会の象徴とも言える存在です。環境に適応できた生物が様々な発展をして生き残ってきて、適応しきれない生物は淘汰され滅んでいくというダーウィンの進化論とカフカの「城」をないまぜにした題名だということで、刺激的な舞台になりそうです。

今回、乘峯雅寛による基本装置で3作品を上演します。それぞれが同じ装置の中でどのような世界を展開するのかも見どころの一つです。また3本通して御覧頂く事で“諍い”について、より深く考え、実感して頂けるものと思っています。ぜひ3作品を御覧頂きたく、本来12,000円のところ10,500円の三本通し券をご用意しました。チケットは前売中です。お申込は文学座チケット専用フリーコール0120−481034まで。詳しい情報は文学座HPhttp://www.bungakuza.comをご覧ください。

これまで日本や海外の古典作品から同時代の作家の作品までを上演し、時代と向き合い、時代ともに歩いてきた文学座アトリエの60年目に、ぜひ立ち会って頂きたくご案内申し上げます。

11月13日(土)には松本祐子・?瀬久男・高橋正徳の3演出家との交流会もございます。疑問点があれば質問して頂き、ご意見があれば訴えて頂ければと考えています。そしてこの日本で、海外の戯曲を上演する意味を、ひいては現代劇を上演してゆくということはどういうことなのかが見えてくればと考えています。

文学座企画事業部


●10月例会のご案内

まだまだ暑い日が続きますが、後期の最初の例会をご案内いたします。7月に引き続き、会場が異なります。ご注意下さい。

日時 2010年10月2日 14:00〜18:00

場所 慶應義塾大学日吉キャンパス,来往舎2階中会議室

http://www.keio.ac.jp/ja/access/hiyoshi.htmlをご参照ください.

■交通アクセス
・東急東横線、東急目黒線・横浜市営地下鉄グリーンライン 日吉駅下車、徒歩1分※東急東横線の特急は日吉駅に停車しません。※渋谷〜日吉:25分(急行約20分)※横浜〜日吉:20分(急行約15分)※新横浜〜菊名〜日吉:20分

 1 合評会 『現代演劇の地層―フランス不条理劇生成の基盤を探る』(ぺりかん社 2010年4月) 内容紹介 小田中章浩(著者)

討論   根岸徹郎・山下純照

2 研究発表 山下純照 「舞台の羊皮紙(?)――野田秀樹の『ザ・キャラクター』における想起の形象化としての主人公マドロミの存在性格を中心に――」

 要旨

野田秀樹の『ザ・キャラクター』(2010年6月〜8月 東京芸術劇場中劇場)は、オウム事件(90年代)の社会的記憶を中心的素材とするが、過去の再現劇ではなく、現在における想起を主題にしているという意味で記憶の演劇として位置づけられる。発表者は常々、現代演劇におけるこのようなタイプを研究対象としており、その典型例の一つとしてこの作品を解釈することができるように思われる。

作者は劇化にさいしての必然的課題として、信徒の集団に相当する人々はどのようにして「狂信的」集団へと性格(キャラクター)を変えていったのかを舞台の上で解剖してみせている。その意味では作品構造は分析的であり、意外にも『オイディプス王』的な古典的悲劇の構造との一致を示している。無惨な過去を解明する主体であるマドロミという主人公が、みずからが犯罪性に「荷担」したという驚くべき発見と認識を得るからである。この「荷担」のメカニズムの布置として、信者集団が町の書道塾に設定された上で、かみ(紙・神)の掛詞や、漢字(キャラクター)の作りや、英語のあるフレーズをめぐるコトバ遊びをレトリックとして、ギリシャ神話の世界が導入され劇の動機となる。もともと精神主義の傾向を持つ書道塾(とりわけその家元)がこれによって超越的な志向性を強めていくという筋書きだが、そこに決定的な形で関与したのが、マドロミが探し求める弟である。マドロミは彼が被害者となったのではないかと危惧し、塾の集団に本心を偽って入り込み、彼を探し求めている。ところが、周囲の者の性格を吸収して膨張していく特殊な能力の持ち主らしい家元に、ジャーナリストだった弟自身が、もっとも危険な変化の要因、すなわち神話的ジャーゴンを与えてしまったのである。映像で巧みに対象化されるマスコミの姿と、信者集団のすがたが隠喩的に並列されているのは偶然ではない。やがて理性では駄目だ、ディオニュソスで行こう、とニーチェばりのコトバを叫んだ家元は、世界の「腑分け」を決意する。そもそもマドロミ自身が、家元の書いた「袖」の書き間違いを「神」と見なす提案をして、こうした方向の変化に「荷担」していたことを指摘すべきだろう。

しかし、『ザ・キャラクター』は古典的悲劇の範疇には、半分しか回収されない。主人公の犯罪への「荷担」という過誤にもかかわらず、そのことによってマドロミが滅びるわけではない。ただ、マドロミの分身とも言うべき弟は、最終的に毒物「サイレン」によるテロ実行犯になったことがわかり、破滅の道を歩んだことになっている。野田は、悲劇的罪を犯した者と、そのことを探求し、認識・反省する者という対照的な二人を肉親に設定し、悲劇の近縁ではあるがそれと一致はせず、むしろそれを包含する記憶の演劇を構成した。

記憶の演劇としての『ザ・キャラクター』の筋の構造は、このような包含関係に応じて複雑なものである。それは『オイディプス王』におけるような、線的な「回顧→前進」様式にはなっていない。その前進線は多くの断片に引き裂かれ、前後に散乱している。それを体現したのが家元の性格であって、上記の変化の結果であるはずの彼のカリスマ化は、劇の冒頭ですでに起こってしまっている。進行形と完了形の混在はこの劇の時間構造の基本的な特徴である。このことを可能ならしめているのが、マドロミという主人公の曖昧な存在性格である。端的に言って、彼女は劇の外部=「時間の裏側」にいると同時に、内部=「劇の現在」にいる。これは、『わが町の』進行役のように、内部と外部を往還するというのとは異なっている。いわば隔絶された箱=過去の内外を約束事によって往還する後者とは異なり、マドロミは内部にいるときも外部からそのことを省察しており、外部にいるときも絶えず内部のことを想起している。マドロミは、想起する行為を観念化した人物形象であり、マドロミという名はその存在性格を表しているとともに、野田秀樹の立場をも表している。夢の遊眠社の全盛時代は、95年への流れと同時だった。野田は、「少年」の概念を積極的な方法論としていた遊眠社時代の自己と、『ザ・キャラクター』の家元との関係を見極める必要があった。「幻」の字をばっさり両断する勢いで「幼」の字に書き換えた宮沢りえのマドロミは、終末の長ぜりふを言うからばかりではなく、野田秀樹の分身である。『ザ・キャラクター』において、記憶の演劇は明白に一つの倫理的次元を開拓したと言える。

*お願い 会員の方で今年度の会費3000円をまだ入金されていないかたは、下記の口座にお納めください。

ゆうちょ口座 10090-81899251 セイヨウヒカクエンゲキケンキュウカイ

他銀行からの振込みの場合は「ゆうちょ銀行 店名〇〇八(読み=ゼロゼロハチ)普通 8189925(7桁)


●7月例会のご案内【今回は会場が変更になります】

※今回は全国大会に引き続き、会場を明治大学に変えての例会開催となりますのでご確認ください。

日時 7月17日(土) 14:00〜18:00

場所 明治大学駿河台キャンパス(御茶ノ水、新御茶ノ水、神保町駅から徒歩5分) 

研究棟2階第9会議室

(詳しくは添付の地図をご覧ください。リバティ・タワー奥の連絡通用口から入れます。添付のファイルがご覧になれない場合はhttp://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/access.htmlをご覧ください)

1 資料紹介 高橋慎也 「マルターラーの新作音楽劇『リーゼンブッツバッハ』について」

要旨

この舞台は昨年のウィーン芸術週間で初演され、本年5月にベルリン演劇祭に招待された後、10月にはフェスティバル・トーキョでも公演予定です。演出家のクリストフ・マルターラーはドイツのポストドラマ演劇の代表者の一人です。本舞台はやや難解ですが、彼の演出の特徴をよく表しています。リーマンショック後の金融危機に晒されたヨーロッパ中産階級の没落をシューベルト、シューマン、マーラー、モンテヴェルディ、さらにはビー・ジーズの曲を使いながら、コミカルかつ批判的に哀悼を込めて描いていきます。今回は舞台映像の一部を紹介し、同じ動作の反復とコンテクストをずらした音楽を使用するマルターラー演出の特徴について解説したいと思います。

プロフィール: たかはししんや

中央大学文学部教授 ドイツ近現代文学研究および演劇研究。ホフマンスタール研究、政治的メッセージソング研究を経て現在は現代ドイツ戯曲と演劇を主に研究中。論文に『A.ファイエルの演劇・映画・文学作品『キック』: オルターナティブな公共圏を創造するドキュメンタリー演劇・映画・文学 』(中央大学文学部紀要)、『テロリズムの記憶と映像芸術』(日本ドイツ学会紀要)、『ドイツ統一後のベルリン演劇の展開 』(中央大学文学部紀要)など

2 研究発表 安田比呂志 「『夏の夜の夢』の改作を再評価する――オペラ『妖精たち』を中心に――」

要旨

シェイクスピアの『夏の夜の夢』の上演史では、1646年から1840年に至る約200年間に上演された『夏の夜の夢』の改作は、真面目な考察の対象とはなっていない。それは、第一に、この200年に上演された『夏の夜の夢』のすべてが「プロクルステス的な手法」による改作であるために、真剣な考察に値するとは考えられていないからであり、第二に、当時観客から絶大な人気を博した『夏の夜の夢』が、デイヴィッド・ギャリックの『妖精たち』やジョージ・コールマンの『妖精物語』のようなオペラであるために、ストレートプレイであるシェイクスピアの『夏の夜の夢』と同列に論じることが出来ないと考えられているからである。
 
ところが、この200年に上演された『夏の夜の夢』の改作に関する研究を進めて行くと、非常に興味深い事実が浮かび上がってくる。すなわち、この研究は、17世紀から19世紀に及ぶ200年に上演された『夏の夜の夢』の様相を明らかにするだけではなく、実は、これらの改作が、現在でも尚引き継がれている『夏の夜の夢』の伝統的な特徴を確立させる上で、非常に重要な役割を果たしていたことが明らかになるのである。
 
そこで、本発表では、17世紀から19世紀にかけて上演された『夏の夜の夢』の改作が持つ、先に述べた特徴を、初演から現在に至る約400年に及ぶ『夏の夜の夢』の上演史の中に位置づけながら明らかにし、その特徴を、特にデイヴィッド・ギャリックのオペラ『妖精たち』を参照しながら、具体的に確認して行くことにする。

プロフィール: やすだひろし

日本橋学館大学准教授。シェイクスピアおよび18世紀イギリス演劇の上演研究。共著に『シェイクスピアへの架け橋』(東京大学出版会)、論文に「ギャリックの演技術と新しいリア像」「ジョージ・コールマンの『ポリー・ハニコム』と観客反応の様相」(共に『日本橋学館大学紀要』)、翻訳に「デイヴィッド・ギャリック、『嘘つき従者』」「ジョージ・コールマン、『ポリー・ハニコム』」(共に文学同人誌『飛翔』)などがある。


●2010年5月例会

日時 5月29日(土)14:00 〜 18:00 
場所 成城大学 2号館1F 大会議室

1『西洋比較演劇研究』第9号掲載論文合評

 毛利三彌(紀要編集者)

昨年に引きつづいて、本年発行の紀要第9号掲載の論文を合評します。当日までに論文を読んでおいてくださるようお願いいたします。
合評は論文掲載順に行いたいと思いますが、それぞれの論文について約40分の時間を予定しています。最初に質問者から5〜7分のコメントをもらい、執筆者からの応答のあと、出席者の自由な質疑と討論に入ることになります。活発な議論の展開を期待しています。それぞれの論文に対する質問者は次の方々です。

和嶋忠司『Turn-takingから劇的対話へ』       井上 優
大橋裕美『二代目市川左団次によるモリエール劇』  星野 高
斎藤好子『テッチュルーン覚書』           小菅隼人
冨岡三智『ジャワ宮廷舞踊の正統性と継承をめぐる問題』 森 佳子
陳 雅萍『解放と統制』               鈴木雅恵

なお、冨岡氏と陳氏は残念ながら出席できませんので、執筆者からの応答はありません。

2 永田 靖「伝統と共同体−2011 FIRT 大阪大会に向けて(2)」
 
国際演劇学会(FIRT/IFTR)の2011年の年次大会が大阪大学で開催されます。
8月7日〜12日の予定です。今回は、大会テーマの「伝統、革新、共同体」についての簡単な説明と、大会についての概略をお話し、大会への積極的な参加を呼びかけたく存じます。


西洋比較演劇研究会
157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 山下純照研究室内 

※年会費3000円のお支払いをお願いします。
「ゆうちょ口座 10090-81899251 セイヨウヒカクエンゲキケンキュウカイ」(他銀
行からの振込みの場合は「ゆうちょ銀行 店名〇〇八(読み=ゼロゼロハチ)普通 
8189925(7桁です)」

※過去ログを以下に掲載しております。ご参照ください。
http://comptheat.sakura.ne.jp/


●2010年度総会・4月例会のご案内

 21世紀も10年目に入り、年度をあらたにする時になりました。最初の例会と、それに先立ち、今後の色々な計画を決める総会を開きます。またその後、懇親会をおこないます。多数の会員のご参加をお待ちしています。

日時 2010年4月10日 14:00〜18:00
場所 成城大学本部棟3F 大会議室

総会 14:00〜15:00
規約の改正、2009年度の活動・会計報告、2010年度の計画と予算など。

例会 15:10〜18:00
 毛利三彌 「イプセン現代上演の台本について」
 
 要旨:
 昨年後半からでも、かなりの数のイプセン上演があった。それらを列挙すると以下のようになる。
  2009年11月『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』俳優座劇場
  2010年2月 『ロスメルスホルム』『幽霊』シアターX
       2月 『ジョン・ガブリエルと呼ばれた男』世田谷パブリックシアター
       3月 『ペール・ギュント』静岡芸術劇場
 他にも小劇団の上演で、再演『私たち死んだものが目覚めたら』があり、京都で『海の夫人』の上演があったようである。また、おそらく『人形の家』からヒントを得たのだろうが、『ノラー光のかけら』(d-倉庫)というのもあった。

 これらに共通する特徴は、イプセンの原作戯曲そのままの翻訳台本ではなく、何らかの手を加えた独自の上演台本によっているという点である。これらを一種の翻案上演と呼ぶこともできようが、翻案にもさまざまの形態があり、明治期の外国劇上演の多くがそうであったような翻案上演とは、一般に区別して考えられているだろう。このような〈翻案〉でなくても、原作の趣からまったく離れた現代風の演出は、イプセンにかぎらず、近代古典劇と呼ばれる作品の上演では、今や欧米でほとんど当然のことになっている。そのとき、長さの長短を含め、原作がかなり変えられているのは言うまでもない。
 このような問題は、演劇研究としては、どのような視点から論じるべきなのか。それはいわゆる上演作品分析の方法にもかかわることであろうが、今回、たまたまイプセン劇の上演がつづいたことから、それらの舞台を具体的手がかりとして、西欧近代劇の翻訳台本と上演台本の関係について討論したいと考えている。

2009年度

●1月例会のご案内

数年の暖冬をくつがえす、まともに寒い冬ですが、皆様ますますご健勝と存じ上げます。

 さて2009年度最後の例会です。能とワイルド、という西洋比較ならではの2つの組み合わせとなりました。ぜひともご参加くださいませ。なお例会後今年度の正規の懇親会をひきつづいて持ちます。事前申し込みなど入りません。お待ちしています。

日時 1月23日(土)14:00〜18:00

場所 成城大学3号館3F 小会議室

1 ルクサンドラ・高野=マルジネアン 「世阿弥の作品における<統一イメージ> 
− 現代と中世における解釈方法を巡って」

現代の能研究において、謡曲の「統一性」の概念はどのように考えられているのだろうか(小西甚一、三宅晶子)。例えば、世阿弥の能における「統一イメージ」とは何だろうか。本発表では現代的解釈としての「統一イメージ」説の根拠の有無を確かめるために、U・Eco『物語における読者』の「読者・テキスト共同作業」という概念を援用しつつ考える。またこの問題を考えるさい、比較すべきは、中世においては「統一イメージ」はどう根拠づけられていたかということである。そのことを「伊勢物語」古注、「源氏物語」古注を参照しつつ、また中世の歌論における「本歌取り」の手法と謡曲での「引用」の問題も視野に入れて考察したい。具体的には『井筒』を例として分析する。

発表者プロフィール:ルクサンドラ・高野=マルジネアン
ブカレスト生まれ。ブカレスト大卒(日本語・英語専攻)。1992
年以降日本留学(早大)、教員(金城学院大)を経て、現在出身地のクライオヴァ市にある国立大学で日本語日本文化の集中講義を行う。研究テーマは「日本演劇における伝統の創造」、世阿弥の能および近松の世話物に関する論文多数。博士論文を日本語・ルーマニア語バイリンガルヴァージョンで母国の出版社から近刊予定。

2 日高 真帆 「錯綜する知覚世界?ワイルド作『サロメ』に関する一考察ー」

要旨

 オスカー・ワイルド(Oscar Wilde, 1854-1900)による悲劇『サロメ』(Salome, 1896)は、1892年にサラ・ベルナール(Sarah Bernhardt, 1844-1923)の主演によりロンドンでの初演の準備が進められたが、宮内長官の命により上演が禁じられた結果、初演はパリにて1886年に漸く実現し、英国での初演は更に遅れて1905年となった。このように、『サロメ』は初演以前から物議を醸し、賛否両論が寄せられたが、その影響力は甚大且つ広範に及び、翻案も文学からオペラや舞踊に至る迄多岐に渡るジャンルで生み出されてきた。

 ワイルドは劇作に当たり、当初は何編もの悲劇作品を書いたが十分な評価が得られず、劇作家としての地位を確立したのは初演と同時に高い評価を得た後期の喜劇作品を通してであった。そのような中で、『サロメ』は異彩を放つ存在である。

 これまで翻案研究を含め多くの研究が為されてきた本作ではあるが、本発表では今一度原点に立ち返り、悲劇『サロメ』の作品研究を行う。その際、作品を読み解く鍵として、冒頭を飾る「見る」という行為を筆頭に知覚に関する要素に着眼し、登場人物の知覚世界が如何に錯綜して悲劇が展開するかを考察したい。

発表者プロフィール:日高 真帆(ひだか まほ)
清泉女子大学文学部専任講師。オスカー・ワイルドを中心に演劇研究を行う。主要業績:単著 The Theatrical World of Oscar Wilde、共著『英国演劇の真髄』、『シェイクスピア、コングリーヴ、ワイルド』、『英国演劇論叢』、解説・ワイルド年譜『ドリアン・グレイの肖像』(光文社古典新訳文庫)。


●12月例会のご案内

日時 12月12日(土) 午後2時〜6時

場所 成城大学 2号館1F大会議室

<上演合評会>

1 坂手洋二作・演出「ハシムラ東郷」(燐光群)

  ゲスト:宇沢美子

  報告者:井上優

2 ファルク・リヒター作 中野志朗演出「崩れたバランス」(文学座)

  ゲスト:中野志朗

  報告者:新沼智之

☆ 前半では、慶応義塾大学教授の宇沢美子氏を迎えて燐光群の新作を批評します。宇沢氏は、この作品のほとんど実質的な「内容」とも言える『ハシムラ東郷―イエローフェイスのアメリカ異人伝』(東京大学出版会2008年)の著者で、この芝居の「劇中人物」として「登場」もされる方ですが、今回急なお願いにもかかわらず、参加を快諾していただけました。報告者の明治大学准教授、井上優氏は本会の中心メンバーで、上演史を中心としながらも近代・現代の演劇を研究されている方です。後半では、文学座アトリエの2009年度における意欲的な「前衛」シリーズの掉尾を飾る演目を取り上げます。演劇人の留学先はロンドンが目立ちますが、ベルリーンから成果を持ち帰るケースも出てきており、文学座の若手演出家、中野志朗氏もその一人です。その中野氏に参加いただけることになりました。同じ西暦年を生きながらも、日本とドイツとでは異なるリアリティーがあり、しかしまた響き合うリアリティーもあり、それを背景に、翻訳劇というとても奇妙で面白いジャンルの現在を考える機会にしたいものです。報告者の新沼智之氏は本会の若手成長株で、武蔵野美術大学で西洋演劇史の講師もされています。ご専門は十八〜十九世紀ドイツ演劇ですが、今回はバリバリの同時代演劇を報告していただきます。

(文責 山下純照)

* 例会後、簡単な打ち上げの会をおこなっています。

* 本会では常時、年に7回の例会での「自由な」研究発表や合評会の企画を募っております。応募状況は年に1〜2本です。そのため合計約13ある枠の多くは、運営委員が率先して発表されることで成り立っています。また、担当者からお願いして貴重なご発表をいただくパターンにも良い面があります。しかし、本来のあり方を取り戻したいものです。皆様のコミットメントを何とぞよろしくお願いします。ご希望の時期(なるべく数ヶ月後)とだいたいのテーマをお知らせいただき、調整いたします。連絡先:y3yamashアトseijo.ac.jp


●11月例会のご案内

さわやかな秋空のもと、将来を切り開く発表内容をそろえました。ここ数年25名〜30名の出席数をずっと確保しています。今回もぜひご参加を!

日時 2009年11月14日(土) 14:00〜18:00

場所 成城大学2号館1F 大会議室

1 <素材紹介>

伊藤愉:ロシア・アヴァンギャルド演劇の傍流――イーゴリ・テレンチエフ

 二十世紀初頭のロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる芸術運動は、国内外で継続的に研究され、ある程度の概要は掴めるようになっている。その一方で、いまだ知られざる芸術家たちも数多く存在し、彼らの活動に光をあて、その活動や思想の可能性を解明することが現在要請されている。演劇においても、メイエルホリド、タイーロフ、エヴレイノフ、といった代表的な演劇人たちの影に隠れながらも、興味深い実践や考察を行った人物は多い。なかでも、今回の報告で取り上げるイーゴリ・テレンチエフ(1892―1937)は、短い活動期間のなかで多くの実験を繰り返し、上演のたびにセンセーションを引き起こした看過すことのできない人物である。しかし、その活動の実態は、公開資料の少なさから、これまであまり知られてこなかった。

 ロシア演劇史の文脈では、「スタニスラフスキーは19世紀の終わりを告げ、メイエルホリドは20世紀の始まりを告げた」としばしば言われる。雑駁に言えば、これは19世紀から20世紀にかけての演劇の自立化の過程を意味している。スタニスラフスキーは娯楽にすぎなかった演劇を作品として認めうる芸術にまで高め、メイエルホリドは再現としての演劇からその先に進み、一回性という特性を最大限に生かした演劇の創造を模索した。こうした一回性の問題から、メイエルホリドは、自身の演劇論の根幹に俳優の身体を置くことになる。テレンチエフもまたメイエルホリドの影響を受け、演劇の一回性を意識したが、彼が注目したのは俳優の発する声だった。それは意味としての言語ではなく、意味を超えて知覚される音としての声である。いうなれば、メイエルホリドは身体言語の開発を試みたのに対し、テレンチエフは言語身体の開発を試みていたのである。彼の思想や実践は、活動期間の短さ、またメイエルホリドという巨大なイデオローグの影に隠れたことから、同時代に影響を与えることは少なかった。だが、その試みは、メイエルホリドが始まりを告げた20世紀演劇を、また別の形で昇華させようとするものだった。

 目的は、忘れ去られた芸術家テレンチエフの演劇における成果を限られた資料を基に素描することにある。新たな人物を紹介することで、ロシア・アヴァンギャルド演劇のイメージがより豊かなものになっていくことを期待している。

発表者プロフィール

伊藤愉(いとうまさる)一橋大学大学院言語社会研究科博士課程。早稲田大学演劇博物館GCOE研究員。ロシア演劇研究。共訳『メイエルホリド演劇の革命』水声社、2008年。

2 研究発表

村井華代:「反演劇性」、その問題の在り処

 19世紀末の演劇の諸改革は、多く何らかの意味で「反演劇的」と言える志向に従っていた。しかし、それらが全く異なる様相を呈していたのは、その改革の中で排除された「演劇性」が、それぞれに異なる意味で捉えられていたからである。が、そのような多様性は、なぜ生じるのか。演劇の構造に、そのような差異を生み出すような契機があるのか。

 こうした疑問を解いてゆく過程として、この発表では、現代の議論において扱われる「反演劇性」、そして現代から遡及的に「反演劇的」と規定される近代以前の諸形式について、その概念自体がどのような意味で規定されているか、あるいは規定されうるかを考察する。排除の契機を与える、すなわち反転の可能性が信じられる「演劇性」のコノテーションとはどのようなものなのか。「演劇性」というタームの無限拡大に注意が喚起されて久しいが、「演劇的」と「反演劇的」の境界そのもの、或いはその揺らぎに着目することで、問題を演劇それ自体の構造にかえす試みである。現代の議論で言及される「反演劇性」のイメージは、多くジョナス・バリッシュ による反演劇コレクションに依存している。そこに潜伏する諸カテゴリーを視覚化し、バリッシュの再考として出されたアッカーマンとパクナーの見解、絵画におけるフリードマンの「演劇性」概念に加え、近年の諸議論を参照しながら、具体的な問題の所在を探る

発表者プロフィール

村井 華代(むらい はなよ)共立女子大学文芸学部専任講師。西洋演劇理論を国別によらず横断的に扱う。近年は記号論による神学と反演劇性の関連付けに取り組んでいる。共著:『現代ドイツのパフォーミングアーツ』『20世紀の戯曲3』。


●9月例会のご案内

虫の音すだく好季節、皆様ご清祥のことと存じます。9月の例会は一枠のみの催しとなってしまいました。
そのぶん密度の濃い、院生および各大学で教鞭をとられる若い研究者のみなさんのご参考になる内容にしたいと念じています。

日時 2009年9月19日(土) 午後2時〜4時

場所 成城大学3号館2F 小会議室 

〈研究批評〉 

山下純照 

「主体(性)概念の手前で―― フィッシャー=リヒテ『ドラマの歴史』(1990)におけるアイデンティティー概念の多義性について」

要旨

 演劇研究にかぎらず、キーワードがいつまでも定義されないまま一人歩きすることほど、危険なことはない。われわれの分野において目立つ、そのような例に主体(性)の概念がある。このことは、個々の論文や研究書のなかで、主体という言葉を、自己という言葉に置き換えたとき文章の意味がどれほど変わるかを反省してみればすぐわかる。発表者は現代の演劇研究における主体(性)概念の使用法を検証することを目指すが、本発表ではそれへの助走として、この主体(性)という用語が(意外にも)ほとんど使用されていないフィッシャー=リヒテの教科書をてがかりに、そこにおける主体(性)概念の「ファミリー」とも言うべき諸概念を吟味したい。

 直訳すれば「古代から現在までの演劇における、アイデンティティーの諸時代」となる副題が付されているこの本において、「アイデンティティー」は典型的な「包括概念」(Dachbegriff)となっている。それが、本文の記述の中ではいわば自由自在に、Ich(私、自分、自己)、 Selbst(自己)、 個人(Individiuum)の概念へと置き換えられていく。あたかもこれらはみな等価であって、何らかの拘束力を持った理論的背景とは無関係に使用可能なように見える。

 しかし、本当はそうであってはなるまい。本発表では、『ドラマの歴史』において上記の諸概念の相互置換の可能性と不可能性を検証し、とりわけ、なぜ主体(性)の概念がそこではほとんど不在であるのかを予想する。そのために、主体(性)概念を実際にキーワードとして用いている、最近の日本人演劇研究者のいくつかの論文を取り上げて比較を試みる(日本演劇学会紀要『演劇学論集』の最近ナンバー、およびCINIIのキーワード検索の結果を参考にする)。

発表者プロフィール(やました よしてる)

専門領域はドイツ語圏を中心とする近現代演劇、および演劇理論。記憶の概念からの現代演劇の再考察を進行中。成城大学教授。日本演劇学会紀要編集委員、西洋比較演劇研究会例会企画。

* 今後の例会予定 11月14日、12月12日、1月23日。
  研究発表ご希望のかたはぜひご連絡ください。1月に空きがあります。

連絡先: y3yamash(アト)seijo.ac.jp


7月例会のご案内

日時 2009年7月25日(土) 14:00 〜18:00
場所 成城大学 731教室

1 研究発表
発表者 森佳子
題目 オペレッタにおける政治的および芸術的戦略―オッフェンバック《にんじん王》を例に
要旨
 大衆的舞台ジャンルであるオペレッタは1855年頃のパリにおいて、オッフェンバックやエルヴェによって社会風刺を目的として創造された。時代は軽佻浮薄と形容された第二帝政にあたり、人びとは「自嘲」的なエスプリに満ちたオッフェンバックのオペレッタに満足していた。しかしながら1870年の普仏戦争後、状況は一変する。すなわち戦後、自信喪失に陥ったパリの人びとに、逆にナショナリズム的意識を高めるようなルコックなどの作品の方が支持されるようになったのである。

 オッフェンバックがサルドゥとともに創作した《にんじん王》はまさにその時期にあたる、パリ・コミューン後の1872年1月にゲテ座で初演された。この作品は「オペレット・フェリー」と呼ばれ、フェリーという舞台転換が多くスペクタクル性の強い大衆的舞台ジャンルとオペレッタを融合したものである。その上演はゲテ座のディレクターの戦略によってかなり前から企画されていたが、戦争の勃発によってその風刺が時代に合わないものとなり、作者たちは多くの部分の変更を余儀なくされたという。
 《にんじん王》は一見フェリーというベールを被っているが、実は政治色の濃い作品で、作者たちの意図はさまざまな部分に隠されている。本発表では第1次資料にあたりながらこれらを検証し、この作品に半ブルジョワ半庶民的なフェリーの要素を取り入れた作者たちの狙いは一体何だったのか、そしてその狙いは当たったのかについて明らかにする。そしてオペラと比較して不当に評価され、大衆芸術としての商業的成功を求められているオペレッタの政治的、芸術的戦略を彼らはどのように考えていたのか、結論付けたい。

発表者プロフィール 
森佳子(もりよしこ) 日本大学非常勤講師、早稲田大学GCOE研究員。専門は17世紀から19世紀までのフランスの音楽劇だが、日本のオペラ受容も含めて幅広く研究を行っている。主な著書に『笑うオペラ』(2002、青弓社)『クラシックと日本人』(2004、青弓社)、翻訳にベルリオーズ『音楽のグロテスク』(2007,青弓社)、共著に『初期オペラの研究』(2005、彩流社)、『オペラ学の地平』(2009、彩流社)などがある。

2 国際演劇学会(リスボン)報告
報告者 斉藤偕子・小菅隼人

要旨(小菅氏)
土方巽の代表作『四季のための27晩』の中から「疱瘡譚」(1972)を取り上げ,7月の国際演劇学会(リスボン)での発表“Hijikata’s Tatsumi’s Way of Rebellion in the Age of Political Chaos: A Tale of Small Pox and His Anti-authoritarian Aesthetics”の内容について報告をします.この月例会の発表では,まず「疱瘡譚」の記録映像の短縮版(約20分)を見ていただき,作品の基本的な構造を紹介します.次に,この作品に強い影響を与えたであろう時代背景を三里塚成田闘争,水俣病公害闘争,ハンセン病闘争として,その関連性を考えます.土方巽は発表者の調べた限りでは同時代の政治に対して明確な発言をしていませんが,多数の映画出演から土方と政治性の関連について仮説を提示します.
*斉藤先生は、会議のテーマ "Silent Voices, Forbidden Lives" について、どのような視点でなされるのか、なるべく全体を通して考えてみたいというご意向です。

報告者プロフィール 
斉藤偕子(さいとうともこ) 慶應義塾大学名誉教授。アメリカ演劇研究・演劇評論。
主な著書に『黎明期の脱主流演劇サイト』(鼎書房、2003)、翻訳にテネシー・ウィリアムズ『ストーン夫人のローマの春』(白水社、1981)などがある。

小菅隼人(こすげはやと) 慶應義塾大学理工学部教授。シェイクスピアを中心とするイギリス・ルネサンス演劇、土方巽を中心とする舞踏論などを中心に研究を進めている。業績:『ハムレット』の翻訳・解説〔『ベスト・プレイズ』(白凰社,2000年)〕、『腐敗と再生―身体医文化論』(編著,慶應義塾大学出版会,2004)ほか。文部科学省委託事業、慶應義塾大学デジタル・メディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)「ポート・フォリオBUTOH」プロジェクト・リーダー。


●5月例会のご案内

本年度の5月例会は月末です。新型インフルエンザが沈静化しているであろうことを祈りながらのご案内です。

日時 5月30日(土) 14:00〜18:00

会場 成城大学2号館1F会議室(予定)

内容 『西洋比較演劇研究』第8号 合評会

 学術研究の発表媒体がさまざまに多様化している中、今年も6本の論文が本会紀要である『西洋比較演劇研究』に掲載の運びとなったことをまず慶びたいと思います。この成果を後々に接続させるべく、合評会という形式での暖めなおしをおこないます。6本それぞれに各30〜40分程度をあて、執筆者をパネリストとし、出席者全員で各論考の主題と方法、問題設定と成果、残された課題などについて討議します。論文作成と査読のいわば「楽屋うら」が垣間見られる貴重な機会です。会員のみならず、身近に論文にとりくんでいる若手研究者がいらっしゃいましたら、気軽に声をかけて一緒にご参加ください。

 パネリスト

  武田清(明治大学)

  安宅りさ子(桐朋学園芸術短期大学)

  岸田真(桜美林大学)

  星野高(早稲田大学演劇博物館GCOE特別研究員)

  瀬戸宏(摂南大学)

   *井上優(明治大学・紙上参加)

 司会 毛利三彌(成城大学名誉教授)

*終了後、いつものように懇親会をおこないますのでこちらもどうぞご参加ください。

なお7月例会は25日(土)、9月例会は26日(土)の予定。発表枠がまだございますので、希望されるかたはご連絡ください。

連絡先 山下純照(成城大学文芸学部) y3yamashアトseijo.ac.jp


●4月総会・例会のご案内 

日時 4月25日 14:00-18:00

会場 成城大学 7号館3F 731教室

第1部 総会 14:00〜15:00

第2部 舞台報告と討論 ――フェスティバル/トーキョー(2009春)の2演目から―― 15:00〜18:00 

 司会 井上優

 1) ロメオ・カステルッチ「Hey Girl!」をめぐって

  報告・討論 村井華代・大崎さやの 

 2) リミニ・プロトコルの実践をめぐって ――『カール・マルクス:資本論 第一巻』を中心に

  報告・討論 萩原健・山下純照

<内容>

第1部 運営委員の改正、2008年度の活動・会計報告、2009年度の活動・予算計画など

を行います。

第2部

1)2009年春、フェスティバル/トーキョーで初来日を果したロメオ・カステルッチの『Hey Girl!』は、途方もなく高度な舞台工学と緻密な象徴表現で観客の度肝を抜いた。どろどろと寝台から流れ落ちる「肉」、その中から全裸の少女が起き上がる冒頭場面は、悪夢のようでありながら、どことなく優しげでもあった。生の身体と加工された身体、断片的な言語テクスト、そして圧倒的な象徴の連続。このような舞台を生み出すドラマトゥルギーとはどのようなものか。今回の例会第二部前半では、フェスティバルで通訳を担当した大崎さやの氏の談話を交えつつ、舞台映像とともに村井がこの舞台の構造分析を試みる。また、1960年生まれのカステルッチと彼の率いるカンパニー「ソチエタス・ラファエロ・サンツィオ」は、イタリア、もしくはイタリア演劇の同時代的状況とどのように関係付けられるのか。今年秋の同フェスティバルでは早くも彼らが再登場、三つの劇場で『神曲 三部作』を連続上演する。今年最大の注目を浴びるカンパニーについて、多角的に言及したい。(文責 村井華代)

2)舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー」のオープニングを飾ったのが、リミニ・プロトコルの『資本論』だった。このパフォーマンス集団については、昨年の同フェスティバルにおける『ムネモパーク』の好評もあり、さらにその前には、われわれの研究会メンバーが訳出した論集『演劇論の変貌』でChristopher Balmeの論文が取り上げていたことなどもあって、かなり突出した創作集団として注目が集まっていると言ってよいだろう。今回はパネル・ディスカッションという形でリミニ・プロトコルの実践の意味について、『資本論』を焦点にして議論したい。まず山下純照が、これまでのリミニ・プロトコルの活動の概要を紹介する。次に、東京公演において字幕制作者・字幕操作出演者(!)として一つの中心的な役割を演じた萩原健が、『資本論』の内容を概括した上で、みずからの参加経験を振り返って、今回の上演の意義を抽出し、議論のポイントを提起する。それらの論点について、山下と萩原のあいだで、ベーシックな討論を行い、最後に参会者全員で議論を展開したいと考える。(文責 山下純照)

報告・討論者プロフィール

村井 華代(むらい はなよ)

共立女子大学文芸学部専任講師。西洋演劇理論を国別によらず横断的に扱う。近年は記号論による神学と反演劇性の関連付けに取り組んでいる。共著:『現代ドイツのパフォーミングアーツ』『20世紀の戯曲?』。

大崎さやの(おおさき・さやの)

東京大学大学院にて博士(文学)。トリノ大学、ヴェネツィア大学に留学。東京大学、明治大学、日本橋学館大学等にて講師。専門は18世紀イタリアの文学と演劇。訳書『アルフィエーリ 自伝』(共訳、人文書院)。ゴルドーニ台本オペラ《月の世界》翻訳。論文「ディドロの演劇理論に見られるゴルドーニの影響」(『西洋比較演劇研究』)。近著に『オペラ学の地平』(共著、彩流社)、『イタリアのオペラと歌曲を知る12章』(共著、東京堂出版)等。

萩原 健(はぎわら・けん)

明治大学国際日本学部専任講師。20世紀以降のドイツ演劇(特に演出の歴史)および関連する日本の演劇。『演劇学のキーワーズ』『オペラ学の地平』(以上共著)、『演劇論の変貌』(共訳)ほか。ドイツ語圏からの来日公演の台本翻訳・字幕制作多数。

山下純照(やました よしてる)

ドイツ語圏に重点をおいた演劇および演劇理論研究。20世紀末のドイツと日本の演劇における記憶の問題に取り組む。2009年4月より成城大学文芸学部教授。現在日本演劇学会理事・紀要編集委員。


2008年度

●1月例会のご案内

新年あけましておめでとうございます。今年最初の例会のご案内です。
昨11月、われわれの学会の秋の研究集会で、演劇とメディアの関係が幅広く論じられました。分科会でもそれを受け、さらに広く、深く考える二つの発表を準備することができました。どうぞ多数のご参加を期待しています。
なお、終了後、簡単な新年会を予定しておりますので、こちらもぜひご参加ください。

日時 2009年1月24日 14:00〜18:00

場所 成城大学 教室は当日正門の掲示をご確認ください

1 狩野 良規 「映画史114年――映画と演劇の歴史と未来を考える」

 毛利三彌先生の成城大学における最終講義(2008.3.8)に触発されて、発表する気になりました。毛利先生の講義は、演劇以外のジャンル・メディアをかなり意識したもので、映画研究は演劇研究を越えたとも発言されました。また、テレビ、DVD、インターネットなどの「ニューメディア」に、既存の芸術、芸能、オールドメディア(なんて用語があるでしょうか?)がすっかり席巻されていると――本音はともかく――嘆いていました?!

 そこで文学からスタートし、演劇をかじり、最近は映画についてあれこれ書いたりしゃべったりしている狩野としては、自分の知っている映画114年の歴史を1時間30分以内でお話し、それに対して演劇研究者の皆様から意見なり反論なりを頂戴したいと思い立ちました。映画史はすぐれて技術革新との格闘の歴史です。サイレントの時代から1920年代末にトーキーに移行して、映像は音を得ます。さらに30年代にはスクリーンに色がつき始め、戦後はカメラの軽量化によって60年代からロケーション撮影が当たり前になります。その後はビデオ撮影の映画が出現し、コンピュータ・グラフィックスが登場し、ドルビーなど音響効果が飛躍的に改良され、ついにデジタルの時代に突入して、映画(film)はフィルムを必要としなくなりました。

 将来は、二次元から三次元の世界になるともいわれている映画。映画はつまり、きわめて動的(dynamic)なメディアであって、静的(static)に定義できるものではありません。一度定義したとたんに技術が、それに伴う表現形式が、ラディカルに変化する、まさに生きているメディアと認識すべきなのです。今回は、演劇がライバルと意識せざるを得ない映画の歴史を技術革新との関連で語ることによって、演劇と映画の何が共通項で、何が異なり、さらには両者の未来はどうなる(べきな)のかを検討したいと考えています。

発表者プロフィール

1956年、東京生まれ。東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、同大学院外国語学研究科ゲルマン系言語専攻修士課程修了。東京都立大学人文学部(史学専攻)卒業。現在、青山学院大学国際政治経済学部教授。専門分野はイギリス文学・演劇・映画。主な著書に、『映画になったシェイクスピア』(三修社、1996年)、『スクリーンの中に英国が見える』(国書刊行会、2005年)などがある。

2 木下 耕介「ステージとスクリーン 認知論的転回以降の映画/演劇理論を比較する」

要旨

 20世紀最後の四半世紀に、英米の演劇理論研究と、そのいわば近接領域である映画理論研究とはともに、いわゆる認知論的転回(cognitive turn)を経験した。認知論的転回とは、当時発展目覚しい認知科学および認知心理学の知見を援用しようとした同時期の人文科学全般の動向を指す術語であるが、演劇理論研究および映画理論研究においては、この転回は特別の意味を担っていたようである。というのは、ともに俳優の身体や背景・装置が生み出す視聴覚的・時空間的効果を表現手段として持つ演劇と映画とは、もとより認知論以前の(例えば記号論のような)言語中心的な理論によっては捌き切れない要素を含んでおり、そのような要素が上演・上映に際して観客に対して持ちうる効果の説明記述に、認知科学の術語がより有効であろうと期待されたのである。

 ところが管見では、「認知論的」な映画理論と演劇理論とは、ともに認知科学を援用しながらも、それぞれにその対象の表現能力の差異を強調しようとしたために、個別の展開を遂げたようである。例えば前者においては、俳優の演技について語る場合にも、映画ならではのクローズ・アップの技法に焦点をあて、その中に捉えられる俳優の表情が持ちうる効果を、認知心理学者ポール・エクマンの表情の理論などに依拠しつつ仮定するような論文が現れる。一方で後者においては、演劇の舞台空間の持つ特有の効果を論じる論考において、認知言語学者ジョージ・レイコフのイメージ・スキーマが援用される。

 それではこれらの認知論的映画/演劇理論は調停・総合することのできないものなのだろうか。本発表ではこのような観点から両者の比較を試みる。その際、(1)認知論的映画理論の概観(2)映画誕生以降の演技法の変遷(3)演劇・映画双方の下位区分への注意(ひとくちに「演劇」「映画」という語のもとに本質論的議論を行うことの妥当性の再検討)等についても言及することを考えている。

プロフィール

木下耕介(きのしたこうすけ)群馬県立女子大学文学部英文学科講師。映画の物語叙述過程における観客による登場人物の理解と構築、およびそれらの登場人物に対する観客の感情的連帯の諸相、ならびにこれらの諸活動に俳優の演技の質が寄与する様態、を中心に研究を進めている。主要論文に「コード・スキーマ・登場人物 ――フィクション映画の物語叙述における俳優の演技の問題についての試論――」”Focalization and P oint of View in the Cinema”など。


●12月例会のご案内

すでにお知らせしましたように、12月の例会は6日(土)となります。詳細のご案内が至近となり、恐縮ですが、
12月末の「演劇討論セミナー」の準備会となりま
すので、ぜひご参会ください。

日時 12月6日(土)午後2時〜6時

場所 成城大学2号館1F会議室

内容:「演劇討論セミナー準備会」

【例会趣旨】

 多くのかたはご存じと思いますが、12月23日〜27日、毛利三彌先生を囲んで演劇理論の「総まくり」的な討論セミナーを、世田谷パブリックシアター4階のセミナー会場で、公開でおこなう予定です。「討論」はわれわれの常ですが、「公開」が今回のミソになります。毛利先生古希記念講座にふさわしいプランであり、斉藤先生を中心に、われわれの事務局が今年度の目玉として力こぶを入れてきたものです。討論の面白さを一般の人々にわかってもらい、引いては演劇研究のすそ野を広げようということです。さて、公開となると、やはり「稽古」が必要です。毛利先生からは、次のようなメッセージをいただいています。

「講座序論のようなものを書きました。それが講座参加申込者に、12月初めに送られる予定です。今度の例会では、その内容の検討をしていただければ有難いと思います。特に、この序論で触れていない重要な問題を指摘してもらえると嬉しく思います」

「基本的には、『演劇の詩学』に書いてあることを叩き台に、それぞれの日のテーマに関する記述への批判を聞かせてもらえたら、大変ありがたいと思っています」。「講座5回分を1回の例会で検討するのは大変ですが、みなさんの大体の反応と関心の方向を聞くことは、講座までの準備に非常に役に立ちますので、よろしくお願いします」

 このような次第ですので、ぜひ準備会を充実させましょう。よろしくお願いします。                                     

                       (文責=例会担当 山下純照)


●10月例会のご案内

日時 10月4日(土) 14:00〜18:00

場所 成城大学2号館1階大会議室

1 小シンポジウムA

「大学と劇団との共同作業による<創客>の可能性について」
〜慶應義塾大学「映画演劇論」(佐野)と文学座・燐光群との実践報告を中心に〜

司会・報告者 佐野語郎

報告者 最首志麻子(文学座企画事業部)、古元道広(燐光群制作)


近年、演劇が多様化し、大都市での公演回数は大小合わせると爆発的に増加したが、一方、ストレートプレイ、特に新劇系劇団の観客層は高齢化が進み、若者たちの芝居離れが進行している。また、小劇場系の翻訳劇上演やアクチュアルな問題をテーマにした公演においても、青年層の関心が高いとは言えない。これまで各大学では文学部・芸術学部を中心に公演案内や優待チケットの取り扱いなど、学生たちに演劇情報の提供や観劇機会の促進を図ってきたが、慶應義塾大学「映画演劇論?・?」では、受講学生に課題を与え、観劇とレポート提出を授業内容に組み込んできた。その際、劇団制作担当者を招いて、資料の提供およびその上演意図を語ってもらい、観劇後に提出されたレポート内容をフィードバックすることで、若い観客層の反応を届けてきた。言うまでもなく、観客の存在が無ければその演劇は消滅する。創造サイドの劇団が若い観客層に対する<創客>の問題をどう捉えているのか。鑑賞サイドの若者たちに接している大学教師は、冒頭で触れた演劇文化の危機に対してどのように考えているのか。学生たちを劇場へ導くための大学と劇団との共同作業の可能性について探ってみたい。

[司会・報告者プロフィール]

佐野語郎(さのごろう)早稲田大学第一文学部文学科演劇専修卒。現在、慶應義塾大学文学部・日本橋女学館高等学校非常勤講師。戯曲創作・舞台演出・童話出版の傍ら、演劇教育に携わる。研究発表に、単位制総合高校における演劇の授業」(関西学院大学)「戯曲にみる聴覚効果と音楽演劇の多層性」(大手前大学)「演技の自立性と舞台制作の実践例」(日本橋学館大学)ほか。

2 小シンポジウムB

「翻訳戯曲の上演と文学座アトリエの会〜『ミセス・サヴェッジ』を中心に〜」

発表者 上村聡史(文学座演出部)

報告者 伊藤正道(文学座企画事業部)

文学座9月アトリエの会公演『ミセス・サヴェッジ』を中心に、『焼けた花園』『文学座AWAKE AND SING!』などの翻訳戯曲をなぜ選び、どう演出したか。演出家と制作担当者の報告をもとに行うシンポジウム。2008年一年間上演会場を吉祥寺シアターに移し、作品も新旧の<アメリカ演劇>を選んで始まった2008年文学座アトリエの会は、2004年に初演された『ダウト‐疑いをめぐる寓話‐』で幕を開けました。そして、1953年初演『ミセス・サヴェッジ』(作/ジョン・パトリック 演出/上村聡史)、1947年初演『日陰者に照る月』(作/ユージン・オニール 演出/西川信廣)とアメリカの戯曲の上演が続きます。この「2008年文学座アトリエの会」の企画・上演意図についての制作担当者からの話と10月例会の対象公演『ミセス・サヴェッジ』の演出家からの発表を基にディスカッションをしたいと考えています。今回取り上げる『ミセス・サヴェッジ』の作者、ジョン・パトリック(1905〜1995)は、人生の半ばより、映画の脚本に力を注いだ作家で、『上流社会』『スージー・ウォンの世界』などが知られています。 演出の上村聡史氏は、文学座の演出家の中で最年少、まさに新進気鋭の演出家です。その視線は、安易に新作を追わず、深い社会性、政治性を伴った作品に注がれ、上村氏の年代にしては珍しく、そういった作品の掘り起こし作業に力が注がれています。『ミセス・サヴェッジ』は、また、人間それ自体への深い愛に支えられている作品であり、上村氏の演出史に新たな1ページを付け加える作品となるにちがいありません。

[発表者プロフィール]

上村聡史(かみむらさとし)文学座付属演劇研究所入所(2001)。座員昇格(2006)。文学座本公演、アトリエの会に演出部として参加し、外部公演において木村光一、鵜山仁らの演出助手を経る。初演出は、2005年アトリエの会『焼けた花園』。また2006年アトリエの会で上演された『AWAKE AND SING!』が好評を博し、2008年2月、優れた舞台芸術の再演と放送を企画するNHKシアターコレクションで上演される。今後はオペラの演出も予定されており、若手の演出家ながら幅広い活動を展開する。

西洋比較演劇研究会
157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740
郵便振替口座番号:00150−2−96887

*過去ログを以下に掲載しております。ご参照ください。

http://comptheat.sakura.ne.jp/


●9月例会のご案内

夏の過酷な季節も一段落しつつあります。9月早々に興味深い研究がそろいました。ぜひ振るってご参加ください。

日時 9月13日(土)  午後2時〜6時

会場 成城大学 教室は追ってご連絡します

1 研究発表 小菅隼人 「舞踏研究の方法と公開について―(FIRT)ソウルでの発表を踏まえて」

要旨

 発表者がリーダーをしている研究プロジェクト「ポートフォリオBUTOH」で作成した 25分ほどのDVDを交えつつ,7月の国際演劇学会での発表(“The Creation and Transmission of the Indigenous Body Movements in Hijikata’s Dance ofDarkness”)と現在の舞踏研究の状況について報告します.この研究プロジェクトでは,慶應義塾大学アートセンターに設置された土方アーカイブを参照しつつ,舞踏家の実演,ワークショップのもとで,動きの再現を記録し,身体表現のセマンティックス,コンテクスト,分析メソッドを研究しています.すなわち(1)画像をジェネティック・アーカイブ・エンジンで再編集,収蔵,メタデータの蓄積と分析を行い,(2)身体知や身体コミュニュケーションの解明システムとして展開させ,(3)研究成果をもとにした新しい形での成果発表と蓄積を目指しています.また,併せて,8月31日〜9月3日に行われる予定の,「土の土方」の記録映像を紹介したいと思います.土着の民俗と死生観に強い影響を受けていた土方は,晩年,芸術思想として「衰弱体」を提起しました.この企画では,〈衰弱=死〉に至る命の実感プログラムとして,慶應義塾大学鶴岡タウンキャンパスに設置した土と泥で造られた土方巽像の上に,土像がすっかり崩れるまで,3日〜5日にわたって,昼夜一定間隔で水滴を落とし続けます.生命を死と重ね合わせて見ようとする土方の芸術観を,創造的な形で体感しようとする実験です.このプログラムでは,土の像が崩れてゆく全過程を,超高精彩映像で撮影し,東京にリアル・タイムで送信し,併せて,ネットでも配信する予定です.この特別プログラムは,演劇人としての土方巽の思想を創造的な形で再現し,日本人の死生観を探り,現代に生きることの意味を世界に発信しようとする教育・研究上の試みです.

〔発表者プロフィール〕
小菅隼人(こすげはやと),慶應義塾大学理工学部教授.シェイクスピアを中心とするイギリス・ルネサンス演劇,土方巽を中心とする舞踏論などを中心に研究を進めている.業績:『ハムレット』の翻訳・解説〔『ベスト・プレイズ』(白凰社,2000年)〕,『腐敗と再生―身体医文化論?』(編著,慶應義塾大学出版会,2004)ほか.文部科学省委託事業,慶應義塾大学デジタル・メディア・コンテンツ統合研究機構(DMC)「ポート・フォリオBUTOH」プロジェクト・リーダー.

2 研究発表 武田清 「メイエルホリドの舞台を観た日本人たち」

要旨

 1927(昭和2)年11月、ロシア十月革命十周年記念式典に4人の日本人が国賓として、全ロシア対外文化協会(ヴォクス)の招きを受けて訪ソした。尾瀬敬止(美術)、米川正夫(文学)、小山内薫(演劇)、秋田雨雀(エスペラント)の4人である。この記念式典を境にして、外国人に固く閉じられてきたソ連の門扉が緩くなり、少数ながら日本人たちがソ連を訪れてメイエルホリド劇場の舞台を観ている。湯浅芳子、中条(宮本)百合子、野崎韶夫等である。
 小山内薫は出発前「あるだけの把握力を尽して、出来るだけのものを掴んで来たい」と語った割には、帰国後、メイエルホリドの演劇に冷淡になり、詳しい観劇のレポートも残さずに翌年末に急逝した。この事情は大の演劇好きであった米川正夫も同じで、彼等はメイエルホリド劇場の舞台について「みだりに余人の真似すべからざる」ものである、と書き記しただけであった。彼等は一体、メイエルホリドの舞台に何を観、何を受け取ったのであったのか。今に残る断片的な当時の映像を観ながら、この問題を再度検討してみたい。

〔プロフィール〕
武田 清(たけだ・きよし)明治大学大学院卒。現在明治大学文学部教授。日本とロシアの近代演劇比較研究および近代ロシアの演出家メイエルホリド、エヴレイノフの仕事をテーマに研究している。主要論文に、「ロシア・キャバレー演劇の研究1908−1924」、「築地小劇場のエヴレイノフ」、「大正期のメイエルホリド研究(序)」、「新劇とロシア演劇―オリヴァー・セイラーのこと―」など。

※会費納入にご協力ください。

西洋比較演劇研究会

157-8511東京都世田谷区成城6-1-20

成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740

郵便振替口座番号:00150−2−96887


●西洋比較演劇研究会7月例会

夏休み直前の時期となりますが、下記のとおり例会を開催いたします。奮ってご参加ください。

西洋比較演劇研究会7月例会(26日(土)、2時、成城大学)の教室が、2号館会議

室から、7号館一階の714に変更になりましたので、お知らせします。

《小シンポジウム》

アクション・複眼視・〈経験〉──レイモンド・ウィリアムズと演劇/小説研究

司会・講師 大貫隆史  招待講師 河野真太郎

ディスカッサント 北野雅弘 山下純照

 『文化と社会』、『キーワード辞典』などで知られる、イギリスの批評家・作家レイモンド・ウィリアムズをめぐる研究が、ふたたび活況を呈しつつある。2006年のウィーンにおける、ウィリアムズをめぐるカンファレンスの開催(論集が本年出版予定)、遺族より未刊行資料の提供を受けたウェールズの歴史家、D・スミスによる伝記の出版(A Warrior’s Tale, 2008年5月刊行)などが、その証左といえるだろう。とはいえ、こうした新潮流において見逃されがちな側面があるのも確かである。そこでは、ウィリアムズが演劇に関する論文や著作を数多く執筆していたことや、彼の演劇研究を抜きにしては、その小説・小説論を考察し得ないことなどが、看過されてしまうことになるのだ。別ないい方をすれば、ウィリアムズの著述において演劇と小説は、それぞれ独立した形式というよりは、いわば相互に浸透しあう形式となっているわけだが、昨今のウィリアムズ研究ではそこが「盲点」となってしまっている、ということでもある。この小シンポジウムでは、こうした状況に介入すべく、ウィリアムズの演劇論三部作(特にModern Tragedy)をめぐる議論、小説(特にTheVolunteers)・小説論をめぐる考察を展開し、アクション、複眼視、〈経験〉といった鍵語に焦点をあてていくことを目標としたい。さらにこれは、演劇研究が小説研究に鍵語を提供する可能性を探る作業、つまり、小説研究の方法論を演劇研究に応用する、という構造主義以降における支配的潮流の外部を探求する作業ともなるだろう。(大貫記)

司会・講師プロフィール(おおぬき たかし)

 専門は戦後イギリス演劇研究。近年はとくに、1968年世代の劇作家(ヘア、エドガーなど)、及びレイモンド・ウィリアムズの演劇論についての考察に力点を置いている。東京大学大学院人文社会研究科博士課程単位取得退学。現在、釧路公立大学准教授。

講師・プロフィール(こうの しんたろう)

 専門は20世紀イギリス小説、批評理論。特に戦間期の文学と批評の言説を研究対象としてきたが、近年はレイモンド・ウィリアムズの批評と小説作品に関心を寄せている。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。現在、京都ノートルダム女子大学専任講師。

ディスカッサント・プロフィール (きたの まさひろ)

 群馬県立女子大学教授。文芸学・演劇学。 「アリストテレスの喜劇論」「ギリシア悲劇と現代演劇(1) シェクナーのDionysus in 69」「ソフォクレス『アンティゴネ』の二つの埋葬」。

ディスカッサント・プロフィール(やました よしてる)

 演劇美学およびドイツ近現代専攻。「シラー『ヴァレンシュタイン三部作』にみる「演劇と美学」」「演劇の映像化:複製概念との関わりで」「演劇美学の脱近代:試論」「上演はいかに想起されるか」「ジョージ・タボリ『記念日』の創作過程にみるユダヤ的アイデンティティーの構築:最終場の決定と解釈をめぐって」。千葉商科大学教授。

日時:7月26日(土) 午後2時より6時まで

会場:成城大学(2号館1階会議室予定)

問い合わせ先:大貫隆史 onuki@kushiro-pu.ac.jp

※新年度の活動維持のため会費3,000円の納入もよろしくお願いします。


●5月例会のご案内

諸事情により通知が直前となってしまいましたが、以下の日程で5月の例会を行います。奮ってご参加くださいますようお願い申し上げます。

日時 5月10日 14:00〜18:00

場所 成城大学 2号館1階大会議室

<西洋比較演劇研究 第7号>掲載論文 合評会

司会 毛利三彌

応答者 各論文執筆者

〔趣意〕

すでにお知らせしましたように、5月の例会では、昨年度の会報に掲載された論文について、編集長の毛利氏を中心に、各執筆者の方々とともに成果を振り返りたいと思います。各論考はいずれも、これからの「西洋比較演劇研究」をうらなうに足りる、まさに気鋭の論集であり、これを機会にぜひ今後への弾みにしたいと存じておりますので、間際のお知らせで恐縮ですが、ぜひご参加ください。


●2008年度総会・4月例会のご案内

日時 4月19日(土) 午後2時〜6時

場所 成城大学 3号館3階大会議室

1 総会 14:00〜15:00

2   例会 討論「2007年度の成果をふりかえる」 15:10〜18:00
 
  ―― 『演劇論の変貌』(論創社)『演劇学論集』45号(日本演劇学会紀要)について

毛利三彌(司会) 
山下純照(問題提起)

内容
 
前半の総会では、例年通り、昨年度の活動報告と会計報告をおこない、また新年度の活動計画と予算計画などを審議します。年に一度の総会ですので、ぜひご参会くださいますよう。後半では、例年は会員を講師として講演会をもってきましたが、今回は新しい試みとして、表題のように昨年度の研究成果を「検証」し、今後への弾みにしたいと思います。お手持ちの『演劇論の変貌』および『演劇学論集』45号をご持参ください。なお、『西洋比較演劇研究会会報』をテーマとするふりかえりの機会を続編で5月に予定しております。

 なお、『演劇論の変貌』の購入は研究会で扱っています。2割引2000円です。
メール(morimit@seijo.ac.jp)またはFax(03-3482-7740)で研究会までお申し込みください。


2007年度

●2008年1月例会のお知らせ

 新年の、そして今年度最後の例会になります。寒さの中ご参加くださいますようお願いいたします。なお終了後、ささやかでありますが、新年の懇親会を予定しております。

日時 2008年1月26日(土)  午後2時〜6時

場所 成城大学 7号館731教室

1 研究発表

関根裕子 「松居松葉による『エレクトラ』日本初演−ホフマンスタールの期待と現実−」

2 研究発表

浦野 進 「尾崎宏次論序説 〜新劇批評史構築のために〜」 

1 関根氏発表要旨

フーゴー・フォン・ホフマンスタールの『エレクトラ』(戯曲版)は、1913年10月帝国劇場で、松居松葉率いる公衆劇団によって、日本で初めて上演されている。イタリア人舞踊家ヴィットーリオ・ローシーが演技指導し、女形の河合武雄がエレクトラを演じたこの講演について、後の演劇史では否定的な意見が多くみられる。たしかに内容の技術的な水準が低かったことは否めない。しかし近年、この『エレクトラ』公演の前後に交わされた松葉や森鴎外とホフマンスタールとの往復書簡の全体像の解明に努めてきた筆者は、当時の演劇雑誌などに掲載された本公演をめぐる論争の調査を通じて、この公演の演劇界に巻き起こしたセンセーションの大きさに驚いている。本発表では、日本や日本人の身体表現に高い関心を持っていたホフマンスタールの「オリエンタル」な『エレクトラ』日本公演への期待に対して、日本側がどのような反応をしたかについて、とりわけ「エレクトラの踊り」に着目して、報告する。ローシーの指導下、女形の演じた、この奇妙な『エレクトラ』をめぐる論争や書簡からは、当時の演劇界の混乱ぶりが見えてくるだけでなく、ジャポニズムに代表される西洋側の文化危機意識も視野に入れることで、東西双方の「未知なるものの演出」という皮肉な平行線によるずれが見えてくるのである。

プロフィール(せきね ゆうこ):国立音楽大学卒、高校の音楽科教員を経て、ドイツ文学に転向。1996〜98年ウィーン大学留学、1999年筑波大学大学院(博士課程)単位取得退学。現在、早稲田大学、明治大学等で非常勤講師、ドイツ語・音楽文化史を教える。「新出 鴎外のホフマンスタール宛書簡」岩波書店『文学』。

2 浦野氏発表要旨

演劇批評家・尾崎 宏次(1914〜99)は、東京外国語学校ドイツ語科を1937年卒業後、「都新聞」(後に東京新聞と改称)に入社、文化部で芸能欄を担当、応召して南方戦線で従軍、戦後復員して復職、芸能記事の取材活動の傍ら、(お)という署名で主として新劇の劇評を執筆した。1954年退社後は「読売新聞」の新劇評を担当したほか、フリーの演劇批評家として健筆を振るった。1950年代初頭から60年代末まで、新劇の批評家として最も大きな影響力を持ち、指導的な立場にあったといえるだろう。それは1930年代半ばから、新協劇団・新築地劇団・文学座などの舞台を観続けて来た体験に裏打ちされた批評精神であり、基本的にはいわゆる新劇運動の擁護者の立場にあったのだが、一方では教条的な硬直した舞台と、真に創造的な創作活動とを峻別する柔軟な感受性の持ち主でもあった。その一例が、戦前『火山灰地』というリアリズム演劇の一つの頂点を極めた作品を作り上げた久保 栄が、戦後は『日本の気象』などにおいて、明らかに後退した作品をしか生み出せなかったことを鋭く批判した尾崎に対して、「(お)の字のやつが……」といたずらに感情的な反発をパンフレットで吐き出した久保の反応などが印象的であった。
 1960年代後半以降のいわゆるアングラ演劇、その延長線上にある小劇場運動には、一定の理解は示しつつも一線を画す立場をとった。その意味で尾崎はあくまで新劇の時代の演劇批評家であり、時代的な限界はまぬかれない。宇野 重吉、木下 順二とは同年生まれのせいもあり、同志的な連帯感によって結ばれていた。宇野の劇団指導者・演出家としての仕事と、木下の劇作の最もよき理解者であり、後援者であった。ドイツ語を学んだため、ドイツ演劇に関わる翻訳・紹介が多いが、晩年は中国演劇に深い関心を寄せ、度々中国を訪れ、オペラ『夕鶴』の中国公演、昆曲『夕鶴』の日本公演の実現に尽力した。
 戦前の新劇運動を引き継ぎながら、敗戦後50年代、60年代の新劇を一つの演劇運動として明確に位置づけ、評価するためには、実践者の身近にあってそれを見つめ続けてきた批評家・尾崎宏次の軌跡を跡付けることが必要であろうと考える。
 発表者は学生時代、尾崎の新聞劇評に疑問を呈する手紙を送ったところ、丁寧な返事をもらい、それ以来面識を得て、親交を深め、さまざまな面で教示を受けることが多かった。後年、NHKの劇場中継番組を担当し、毎月の「演劇時評」そのほかで仕事上のかかわりも持つことになった。
 演劇批評史研究は、上演史研究以上に確立することの困難なジャンルであろう。基本的な一次資料の収集すら難しい。しかしそれだけに例えば戦後期の整理を今行なっておかないといけないのではないか。今回の発表は年譜・書誌等の基礎作業から出発する、第一段階のものとなるだろう。

プロフィール(うらの すすむ):元NHKディレクター(主としてテレビドラマ、劇場中継番組)。元桐蔭メモリアルホール企画プロデューサー。19世紀フランス・ロマン派演劇、19世紀フランス文学とロシア文学の交流関係を研究。評論に「タタミ的演劇論」(『悲劇喜劇』所収)、「プロスペール・メリメとロシア」(『個性』連載中)など。著書に『アジアの民芸』(日本放送出版協会、共著)。翻訳に『戯曲・三銃士』(アレクサンドル・デュマ作、劇団俳小公演台本)、『ドイツ電撃戦』、『ロンメル対モントゴメリー』(ともに《ライフ第二次世界大戦史》のうち)など。主な演出作品にテレビドラマ『らっこの金さん』(水木洋子作、芸術祭優秀賞受賞)、連続テレビ小説『旅路』、『開化探偵帳』、『鞍馬天狗』など。

西洋比較演劇研究会157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740
郵便振替口座番号:00150−2−96887


●2007年12月例会のお知らせ

久しぶりの例会開催となります。新進気鋭の研究者の発表に、奮ってご参加をお願いいたします。

日時 2007年12月8日(土)  午後2時〜6時
場所 成城大学(会場は追ってご連絡いたします)

1 研究発表

萩原 健 「集団の声、集団の身体〜1920・30年代の日本とドイツにおけるアジプロ演劇」

2 研究発表

平田栄一朗 「終焉の演劇――クリストフ・マルターラー演出の『三人姉妹』」

1 萩原氏発表要旨

 1920・30年代の日独では、ロシア革命を受け、労働者革命のための扇動と宣伝を主眼とした、いわゆるアジプロ演劇が展開された。ここで注目されるのは、職業俳優が既存の劇場で行なった上演に加え、素人の労働者の〈アジプロ隊〉が集団で制作し、工場や広場、街頭で行なった上演が数多くあるということである。ただしこれは戯曲作品・上演作品としての完成度よりも扇動・宣伝としての効果を優先させていたために、従来の演劇研究でほとんど扱われていない。
 本発表はこの日独アジプロ隊の成立過程、活動および上演の内容を明らかにしようとするものだが、これはまた、発表者が企画・運営する、発表と同じ表題の早大演劇博物館企画展(11月24日〜2008年1月20日)の紹介を兼ねている。同展は、ロシア革命から第二次大戦の終戦まで、時間軸に沿って日独アジプロ隊の歩みを追うもので、本発表は同展の構成に従って進められる。同展で展示される、演劇博物館所蔵の、また同展のためにドイツの各博物館・資料館から借用した、アジプロ演劇に関連する戦前の露・日・独のポスターやチラシ、上演写真など、多数の資料の画像を用いながら、当時の日独アジプロ隊の活動を明らかにしていきたい。さらに、アジプロ演劇が現在の多くの演劇やパフォーマンスと接点を持ち、この演劇が現在の演劇研究・パフォーマンス研究において取り上げるに足る意義を備えていることも指摘したい。

プロフィール: (はぎわら けん)

 早稲田大学演劇博物館助手。20世紀以降の現代ドイツ演劇における演出、及び関連する日独演劇交流について研究。論文に「ヴァンゲンハイム作『鼠落とし』(1931)の制作における千田是也の役割について」など。

2 平田氏発表要旨:

ドイツ語圏ならびにヨーロッパを代表する演出家クリストフ・マルターラーは、時代の終焉をめぐるさまざまなテーマやモチーフを多くの上演で取り上げてきている。この傾倒の要因として、1990年代の社会主義体制の崩壊とグローバル化の台頭とともに、豊かな社会保障制度、啓蒙主義的市民思想などのヨーロッパのアイデンティティが瓦解したことが挙げられる。マルターラー演劇は、このような状況を踏まえ、終焉とはなにか、終焉以後のあり方とはなにか、終わった後をどのように生き延びるのか、終わってしまった存在に対して人はなにができるのか、などと自問しつつ、さまざまな終焉のありようを演劇表現のなかで追究し続けている。

 本発表では、1997年にベルリン・フォルクスビューネで初演された『三人姉妹』の演出や俳優の身振りを対象に、終焉を生き続けるリアルな状況をつまびらかにする。その際、終焉をめぐる文化論や、終焉の演劇の先達であるベケットやシェイクスピアなどについても触れたい。

プロフィール:(ひらた えいいちろう)

慶應義塾大学文学部准教授。ドイツ・ヨーロッパ演劇研究。著書に『文学の子どもたち』(共著)、『現代ドイツのパフォーミングアーツ』(共著)など、演劇誌編著に「Theater der Zeit  Japan Insert」。

本会主催の第4回国際演劇研究コロキウムの発表論文をもとに編んだ『演劇論の変貌―今日の演劇をどうとらえるか』(論創社)が発刊されました。概要は以下のサイトでご覧ください。是非読んでくださるようお願いいたします。事務局に直接申し込むと2割引(2000円)で購入できます。購入方法につきましては、別途はがきでご案内いたします。

http://astore.amazon.co.jp/ronsocojp-22/detail/4846006301/250-4566818-4063400

   

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*過去ログを以下に掲載しております。ご参照ください。

http://comptheat.sakura.ne.jp/


●2007年9月例会  (「近現代演劇研究会」協賛)

酷暑の夏が続いております。お元気でお過ごしでしょうか。次回の例会は、久しぶりに東京の外に出ます。奮ってご参加いただきたく存じます。

日時 9月22日(土) 14時〜18時

会場 大阪市立大学文学部棟1階128教室 下記のURLをご参照ください。
http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/lit/information/access.html

1 研究発表  坂井隆 「「キャンプ」の活用術――Tennessee Williamsの場合」

要旨

 本発表の狙いは、「キャンプ」とTennessee Williams作品との関係を考察することにある。ただし、従来の批評研究のように、彼の作品に潜む異性装的要素の度合いをはかる―例えばBlanche DuBoisを同性愛者(または、女装したゲイ男性)として解釈する―ことはしない。その代わりにWilliamsが認めていた、キャンプの芸術的可能性・潜在性を伝記的事実からまず明らかにし、次にそれをいかに応用して作品化しているのかを戯曲(テキスト)分析を通して明らかにする。今回の分析の対象となるテキストはThe Milk  Train Doesn'tStop Here Anymore(1964)である。

発表者プロフィール

熊本県立大学文学部英語英米文学科専任講師。アメリカ演劇専攻。現在はTennessee Williamsの後期作品をフェミニズムやクイア理論を援用して分析している。<論文>「<流用>する/される<キャンプ>−1930年代のメイ・ウェストと1970年代のメイ・ウェスト」(『演劇学論集』第43号)「言葉とセクシュアリティ―Clothes for a Summer Hotelにおけるエロティック・ミューズとしてのZelda」(『九州英文学研究』第24号(日本英文学会九州支部) など。

2 研究発表 青野智子 「リージョナルシアターとアメリカ地域社会:アリーナ・ステージの立地を中心に」

要旨

 現在、アメリカ合衆国の主要都市においては、地域を拠点として演劇活動を行っているリージョナルシアターが存在しており、ニューヨークを中心としたブロードウェイ興行とともに、アメリカ演劇文化の一翼を担う主要な存在となっている。このようなリージョナルシアターは、いかにして持続的な演劇活動が地域において可能であるのか、アメリカ社会における一つのモデルを提供してくれる存在であるということができる。
 しかし、従来のリージョナルシアター研究においては、非営利法人という組織形態に照準を合わせた経営論など、いわば演劇の作り手の論理に沿ったものが多く、演劇の受け手・支え手である観客を含む地域社会を視野に入れた研究は、これまでにほとんどなされてこなかった。
 多くのリージョナルシアターが創設された1960年代前半〜1970年代半ばは、アメリカの主要都市において、インナー・シティのスラム化と白人層の郊外への転出が進行した時代とも重なっている。この事実は、我が国の劇場施設や公共ホールが中心市街地での立地を志向するのとは異なる立地上の特徴を、リージョナルシアターに付与することになったと考えられる。本報告においては、ワシントンDCを拠点として半世紀以上にわたり活動を続けてきたアリーナ・ステージの事例を中心に取り上げ、リージョナルシアターの地域社会との関係を、都市再開発事業との関わりも視野に入れ、劇場施設の立地の側面から考察する。

プロフィール

アメリカ演劇、文化政策学・劇場経営論。論文に「戦後アメリカ演劇の興行システムの発展」「アメリカ合衆国におけるリージョナルシアターの存立基盤」等。諏訪東京理科大学専任講師。
ホームページ:
http://www.rs.suwa.tus.ac.jp/aono/research2.html

西洋比較演劇研究会

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*過去ログを以下に掲載しております。ご参照ください。http://comptheat.sakura.ne.jp/


7月例会のお知らせ

夏休み直前の例会は、場所を変え、緑の濃い慶應大学日吉キャンパスで行ないます。分かりやすい場所ですのでふるってご参加を。

日時 7月21日(土)14:00〜18:00
場所 慶應義塾大学日吉キャンパス・来往舎2階大会議室 
   東急東横線「日吉」下車すぐ。
http://www.hc.keio.ac.jp/index-jp.html

〒223-8521 神奈川県横浜市港北区日吉4-1-1 TEL.045-563-1111(代)
●東急東横線 日吉駅下車(徒歩1分)●渋谷〜日吉:約25分(急行約20分)/横浜〜日吉:約20分(急行約15分)/新横浜〜菊名〜日吉:20分
●日吉駅に停車するのは「普通」、「急行」および「通勤特急」電車です。「特急」は停まりません。

*今回は会場が通常とは異なります。ご注意ください。*


1 研究発表 
 大橋裕美 「榎本虎彦の劇作法―『アドリエンヌ・ルクヴルール』に拠る『女歌舞伎』」

要旨
榎本虎彦は、明治末から大正にかけて、西洋、特にフランス演劇を翻案した歌舞伎脚本を多く手がけた立作者であるが、その作品から、スクリーブ作『アドリエンヌ・ルクヴルール』に拠る『女歌舞伎』(明治41年、歌舞伎座初演)を取上げる。フランス本国ではサラ・ベルナールも演じた「アドリエンヌ」役を、虎彦は、実在した女歌舞伎の太夫「桐大内蔵」に書替え、それを中村芝翫、後の五世中村歌右衛門が勤めて好評を博した。
本発表では、劇評、芝翫の芸談や虎彦の自作解説などを頼りに、『女歌舞伎』の劇作法について検証する。虎彦は本作で、原作にあった女優の朗読の場面を、劇中劇に書替えるという趣向で生かした一方、原作を離れ、観客の目に馴染んだ歌舞伎の名場面を引用して見せ場を設けるといった手法を用いている。また、本作が初演された明治41年には、いわゆる素人の劇作家である松居松葉や山崎紫紅、岡本綺堂らの新作が注目を集めていたが、『女歌舞伎』も、そうした同時代の劇作品に影響を受けていたことが指摘できる。 
さらには、『女歌舞伎』初演以前に、『アドリエンヌ・ルクヴルール』を『怨』と題して長田秋濤が翻訳、出版していることにも注目する。『怨』を読んでから『女歌舞伎』を見るという観客がいたことなどもふまえ、初演当時の劇界の状況に即して、虎彦の劇作法を論じる。

発表者プロフィール(おおはし・ゆみ)
明治大学大学院文学研究科演劇学専攻在籍。近代日本演劇における劇作法に着目し、作品の比較検討を通してその特徴を探る。論文に「郡虎彦と三島由紀夫の劇作法」「岡本綺堂の劇作法と二代目市川左団次」など。


2 海外演劇・演劇教育の報告
竹中弥生 「ロンドン滞在報告:ロンドンに於ける演劇と大学演劇教育の現状」

要旨
 英国はこの数年間大変な好景気に沸いています。そのような中、2006年4月から2007年3月末まで、ロンドン大学キングスカッレジ(King's College)の客員研究員として滞在し、現在のロンドンに於ける演劇と演劇教育の状況を垣間見ることができましたのでその報告をいたします。
 「景気の良いときには演劇は栄える」ということは以前から主張してきたことですが、まさに、現在のイギリスは好況の真っ只中にあり、演劇界の繁栄には驚くべきものがあります。そして数多くの新しい作家、演出家の作品はもとより、古い、長年省みられることのなかった作品などが、ウエストエンド、フリンジを問わず、伝統的あるいは全
く新しい演出で毎晩上演され活況を呈しています。その数の多さに、全てを見ることはできませんでしたが、見ることができたいくつかの作品の傾向、その意味するところなどについて感じたことを述べさせていただきたいと思います。
 さらに、キングスカレッジでは、一般の大学、大学院の講義、ゼミの他に、キングスとRADA(王立演劇学院)とが共同で開いている修士の講座Text and Performanceを受講し、そこで行われている大変優れた演劇教育の一端を体験することができました。研究のほかに教育活動にも献身しておられる皆様に何かお役に立てればと思い、私が見た限りのキングスとRADAの演劇教育についてお話いたします。

発表者プロフィール (たけなか やよい)
ソルボンヌ(パリ、第四)大学、博士課程終了。英語演劇専攻、文学博士。駿河台大学現代文化学部比較文化学科教授。

 西洋比較演劇研究会
157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740
郵便振替口座番号:00150−2−96887

●5月例会のお知らせ

すがすがしい季節になりました。4月の例会での決定を受けて、新体制でのスタートとなります。奮ってご参加ください。

日時 5月19日 14時〜18時
場所 成城大学 7号館714教室

1 研究発表
 村井華代 「バリッシュ『反演劇的偏見』の演劇史構築」

要旨
ジョナス・バリッシュ(Jonas Barish, 1922-98)の1981年の著作The AntitheatricalPrejudiceは、古代ギリシアから1970年代まで、反演劇的姿勢を表した著作や運動を豊富な事例によって紹介しながら「演劇的なるものの本質、つまり必然的に、人間の本質」を描こうとする刺激的な著作である。著者はこれを完璧に連関したクロニクルとして著すのではなく、この領域の森羅万象を有名無名問わず「探検」し「描写」しようとしたのだと言う。が、この反演劇カタログの核となる理念は、実際には明瞭な一定の史観を提示するものであり、それゆえに単なる反演劇文献案内を超えた示唆をも提供することになっている。
 この発表では、バリッシュの描いた反演劇理念史──狂信的演劇蔑視論者の言説から、プラトン、アウグスティヌス、ニーチェらの哲学まで──を概説すると同時に、そこから「反演劇性」の一般的問題を抽出する。殊に注目したいのは、素朴な演劇嫌悪に終わらず、近代演劇の構造変化の起爆剤となった反演劇理念である。例えばハムレットのような反演劇的人間によって導かれる劇作品の登場や、「演劇的悪徳」を排除して純化した演劇等は、どのように伝統的反演劇の文脈の中に位置づけられるか。決して新しい著作ではない。が、ダンスやナマの身体等、ある種の「反演劇的」素材が隆盛を極める現在、この本を再読する意義は小さくないだろう。

発表者プロフィール
西洋演劇理論研究。早稲田大学演劇博物館COE客員研究助手を経て、現在共立女子大学・日本女子大学非常勤講師。国やジャンルの壁を越えて「演劇とは何か」の言説を扱う。劇評サイトWonderland〈http://www.wonderlands.jp/〉定期執筆者。

2 合評会
 「ボイド真理子『静けさの美学 太田省吾と裸形の演劇』(上智大学出版会 2006年)を読む」
 報告者 山下純照

要旨
 太田省吾の演劇について書かれた、おそらく最初の研究書である。著者は上智大学比較文化学科教授。長年にわたりハワイ大学演劇学科のブランドン教授のもとで研究を行なった成果で、英文で書かれている。その主張はほぼ、演劇史には「静けさの美学」という現象があり、それはとりわけ日本の演劇にユニークな現象であって、そのなかで太田省吾の裸形の演劇が特別な位置を占めている、と要約できる。この主張を説明するために、本書は演劇史的概観、太田省吾の全体像の紹介、そして具体例の分析という構成をとる。報告では、こうした構成に沿ってなるべく客観的な紹介を心がけつつ、方法論的および内容的に批判的な読解を試みる。
演劇学者が心血を注いだ好著が相次いでいる。既定路線にかたまった新聞書評欄などからは無視され、あまり熱心な読者に恵まれているようには見えない。こうした現状に一矢報いたい。

報告者プロフィール(やました よしてる)
 ドイツ近・現代演劇と日本現代演劇を対象に、理論と歴史、美学と文化研究、戯曲と上演といった横断的問題領域を開拓。とりわけ「記憶」をキーワードに、二十世紀演劇を研究。過去の仕事はCiNii(論文情報ナビゲータ)から検索可能。千葉商科大学教授。


●4月例会のお知らせ

日時 4月21日(土) 14時〜18時
場所 成城大学 本部棟3階会議室

1 総会 14:00〜16:00
昨年度の活動と会計の報告、新運営委員会の紹介、2007年度の活動と予算の審
議、その他、今後をみすえた運営のありかたについて審議します。

2 講演会と討論 16:00〜18:00
講師 斎藤偕子
講演題目  祭祀 ー儀礼と神話― と演劇
――Ritual<Ceremonial Acts and Myths/Legendary Stories> & Theatre――

要旨
 中心のキーワードは「祭祀」と「演劇」だが、ただ、広い意味で一般的に用いられている用語に含まれる本質的な要素として、社会的文化的な「行為」の面と、芸術作品として存在するときに内包する「構造」の面に目を向けて、両者の関係を語ってみたい。
 私自身の演劇観の底流に常にある考え方だが、出発点に構造主義的観点があり、その上で濃く影響を受けた文化人類学にはC. Levi-Strauss, M. Eliade, L.Laglan, V.Turnerなどのいくつかの著作がある。自己流に咀嚼しているという批判や、このような文化人類学は旧いという批判に晒されてみようという意味で、問題提起的な
発表にしたい。

プロフィール
専門はアメリカ演劇。他に演劇理論、現代日本演劇の研究もこころざし、また舞台批評活動も行なっている。


新年度の新規の会費納入もよろしくお願いいたします。
例会の会場でも受け付けますが、参加できない方、遠隔地の方は郵便振替をご利用ください。
年会費は3000円です。

西洋比較演劇研究会
郵便振替番号:00150-2-96887
157-8511東京都世田谷区成城6-1-20
成城大学文芸学部 一之瀬研究室 Fax:03-3482-7740


2006年度
2005年度
2004年度
2003年度
2002年度