新刊書を読む 井上理恵編著『島村抱月の世界 ヨーロッパ・文芸協会・芸術座』 | 日本演劇学会

新刊書を読む 井上理恵編著『島村抱月の世界 ヨーロッパ・文芸協会・芸術座』

公開日:2022-08-21 / 更新日:2022-08-25

 

今井克佳(東洋学園大学)

 島村抱月が「スペイン風邪」でこの世を去ってから、すでに104年が経とうとしている。日本演劇史にはかかせない存在のため、演劇史では必ずとりあげられるとはいえ、参考資料となる伝記や研究書は、近年は少なく、例えば、岩佐壯四郎『抱月のベル・エポック 明治文学者と新世紀ヨーロッパ』(大修館書店 1998)、『島村抱月の文藝批評と美学理論』(早稲田大学出版部、2013)が、いずれも大著であるが、目につく程度といえよう。

 一方で、繰り返される宮本研『美しきものの伝説』の上演でのイメージや、芸術座記念事業では、松井須磨子の業績に重きが置かれることが多く、抱月の実像が偏って印象付けられている嫌いもあるように思える。

 本書は、島村抱月を「演劇史上に正当に後付けたい」という編著者の長年の思いをもとに、抱月の「再評価に繋がること」を希望して出版された(いずれも「おわりに」から)。編著者の井上はすでに日本近代演劇史をめぐる仕事として、『川上音二郎と貞奴』3巻シリーズ(社会評論社、2015-2018)で、新演劇運動を起こした川上音二郎を日本の近代劇の先駆者と位置づけてきた。本書は、それに続く仕事といえよう。ただし、本書は共著であり、各著者が専門分野を活かして、島村抱月の業績に多角的に切り込んだものである。本書は以下の章で成り立っており、序章と終章を井上が担当し、他の章は、それぞれの著者が執筆するというかたちをとっている。

  • 序章 島村抱月 −浜田から東京へ、早稲田の分科へ、演劇へ(井上理恵)
  • 第一章 滞欧中の島村抱月と美術生活(五十殿利治)
  • 第二章 潜在するジレンマ −抱月の洋行をめぐって(岩井眞實)
  • 第三章 小説家および劇作家としての抱月(林廣親)
  • 第四章 文芸協会と抱月の「人形の家」(安宅りさ子)
  • 第五章 トルストイとの交差 −「闇の力」と「生ける屍」(永田靖)
  • 終章 演劇史の文芸協会と芸術座(井上理恵)

 「序章 島村抱月」ではまず、抱月の出自、早稲田入学から留学、文芸協会初期までをたどっている。従来の伝記本を参照しつつも、なぜ高級官僚への道を期待された抱月が、早稲田の文科に入学し、演劇に進もうとしたかの疑問を考えていく。注目すべき視点がいくつか提示されているが、その中でも、出身地に近い浜田(島根県)で、まだ書記をしていた時代に、二葉亭四迷『浮雲』を読んでいたとの抱月の言から、言文一致の新文学に、心を寄せており、当然、『小説神髄』『当世書生気質』で逍遥にも触れていただろうとの推測が説得的に感じた。また、「序章」の最後に紹介される、「文芸協会」公演「故郷」(ズーダーマン作)の上演禁止問題は、抱月の向かう困難な道を示している。

 続く、「第一章 滞欧中の島村抱月と美術生活」(五十殿利治)と、「第二章 潜在するジレンマ −抱月の洋行をめぐって」(岩井眞實)は、留学中に抱月が触れた、美術、演劇とその捉え方を詳細に追い、分析している。

 「第一章」の著者は、まず中村義一「島村抱月と西洋近代美術」をひき、抱月の西洋美術への理解議論を中村が限定的で「問題を宙吊りにした」ものと批判しているとする。さらに木下杢太郎の「欧人の目」「上より」であるとの批判も追記する。ただし著者は中村の立論は留学体験を検討しない一方的なものであるとして、岩佐壮四郎『抱月のベル・エポック』を導き手としながら、再度、抱月の留学体験と美術の意味を探っていく。

 ここからはイギリス・フランス・ドイツと、日記他の記録による抱月の美術鑑賞を詳細に後付けていくのであるが、引用される他の批評家の評価などと比較しても、抱月が特に強く惹かれた画家はいなかったように思われた。それぞれの美術館に、お気に入りはあったとしてもそれへの理解は浅かったとの印象を持った。その理由は多分、著者も指摘しているモダニズムの新しい潮流の氾濫期であったということもあろう。また、抱月の美術館観覧は、観劇もその傾向があったと思うが、文化報告の意味合いが強く、代表的なものを見ていくという傾向が、特にイギリス時代は強かった、と感じざるを得なかった。 

 「第二章」では、イギリス滞在中の抱月の観劇体験を、報告記事である「英国の劇壇」などから追っている。抱月の劇評の特徴を「見たまま」と表現し、詳細を捉え、心理を読み込まない、優れたものと評価する。また、抱月が、当時のイギリス劇壇の状況を「東力西漸」ということばで表現し、俗趣味な喜劇(東)が、高尚な芸術主義(西)を侵食していると捉えており、このことを批判するだけではなく一定の理解をしめしているという。また、ロンドンで見た「レサレクション」(トルストイ『復活』の舞台化)では、第一幕に手拍子で歌うカチューシャの歌が入っていたことも指摘している。こうしたイギリスでの観劇体験が、のちの芸術座での活動につながっていることがよくわかる。一方で、イプセン劇にはほとんど触れていないことも指摘されており興味深い。章末の「抱月ロンドン観劇一覧」も有用である。ただその後のベルリン時代などの観劇についても、紙面の関係等もあろうが触れてほしかった。

 「第三章 小説家および劇作家としての抱月」(林廣親)は、留学前後を通じての創作活動をとりあげている。前半では、留学前の明治30年代に発表された小説と、それをまとめて留学後に上梓した小説集『乱雲集』を比較し、その編集方針から、抱月が、深刻小説や硯友社的な「物語」を次第に捨て、スケッチ、短編といった創作をよしとしていったのだとする。その後は小説と戯曲の創作時期があるが、小説については著者の評価は高く「山恋」では、口語体の書簡文に「時代を先取り」する傾向を見出せるとする一方、戯曲については「面白い作品は一つもかけていない」と一蹴している。この辺りを同時期の演劇活動とどう関連づけるのか、が次の課題となりそうである。

 「第四章 文芸協会と抱月の「人形の家」」(安宅りさ子)は、文芸協会で抱月によって演出された「人形の家」を詳細に論じている。「文芸協会演劇研修所」と坪内邸「試演場」の経緯、抱月の翻訳台本の特徴(金銭単位を日本の「銭」にするなど観客の親しみやすさを優先)などを述べた後、留学中に中村吉藏が見た、ブロードウェイの「人形の家」(アーラ・ナジモワ出演)を参考にしつつ、演出を行ったことが指摘されていく。中村の『最近歐米劇壇』は、主演の松井須磨子も直接読んで参考にしていたという。当時としては、こうした観劇記録がいかに重要で、実際の上演に影響を与えていたかを改めて認識した。その後、省略されていた二幕も含めた完全上演としての帝国劇場、大阪中座公演、「新しい女」像の反響まで、「文芸協会」の「人形の家」公演について総合的にまとめられている。

 「第五章 トルストイとの交差 −「闇の力」と「生ける屍」」(永田靖)では、「芸術座」におけるトルストイ作品の上演四作の中から、もともと戯曲として書かれた「闇の力」と「生ける屍」の二作について論じている。まず、著者は当時のロシアにおけるトルストイ作品の上演について、詳細に報告し、この二作については、その梗概、そして上演の経緯がまとめられている。この二作はいずれも「モスクワ芸術坐」でも上演されており、上演までの経緯は異なるにせよ、「ロシアでのリアリズム演出の方向をよく示している」という。舞台となった土地で合宿を行い、実際の農民や「ジプシー」から所作を学ぶなどのスタニスラフスキーの演出法の紹介は興味深い。

 抱月の「芸術座」での上演では「生ける屍」が、通俗的に翻案されて上演され小山内薫の徹底的な批判を受けたのに対して、「闇の力」は実験劇場とも言える「芸術倶楽部」で上演され、同じ小山内薫も絶賛し多くの評者にも賞賛されたという。この対比もまた興味深い。「生ける屍」の原作が「私的な心理アプローチと自己の変容を求め、その共同体を夢見る」ものであり、「芸術座」の「生ける屍」は、それを犠牲にしても「和平甘美な味」と「世界苦という如な憂い」を届けるものであった、とする。

 「終章 演劇史の文芸協会と芸術座」では、序章からのつながりに戻り、まず、『逍遥選集』の資料からひもとき、戦後に至る数々の演劇史本で、抱月の仕事がどのように評価されてきたかを改めて追っている。戦前を中心に、新劇の嚆矢としては、抱月よりも、小山内薫の「自由劇場」が、その後の「築地小劇場」の評価と混同され、評価されていたと指摘している。そしてその傾向は、戦後、修正されていくことも見ている。井上はここで、「文芸協会」も「自由劇場」も「〈知〉の先駆者集団」が、世界と同レベルの演劇状況をこの国に根付かせようとするもの、として評価している。

 「終章」の後半の指摘で、注目したいのは、抱月の「闘い」が、一般にイメージされやすい、商業主義とどう折り合いをつけていくか、という視点だけではなく、「国家権力との格闘」でもあったとしている点である。この点はつい見逃してしまいがちだが、重要である。大逆事件との時系列的な近さの指摘や、「序章」で詳述された「文芸協会」公演「故郷」の上演差し止め事件から繋がる、この視点には説得力がある。

 本書は、見識ある著者たちの共著であり、それぞれの章はどれをとっても読み応えがある。各章の論は独立しているとはいえ、互いに共鳴しあっている部分もあり、多角的に捉えられているからこそ、この「〈知〉の先駆者」の全体像は、より大きく浮かび上がってくるところがあると言えよう。それでも、各論で語り尽くせぬ視点があることは、各著者によっても指摘されている場合が多い。島村抱月が語り尽くされたわけではなく、さらに追究すべき対象として、浮かび上がってきたといえる。

 本書が島村抱月を含む、日本近代における新劇の揺籃期が、さらに研究されるための、契機となっていくことが望ましい。

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