追悼 谷川道子さんの逝去を悼む | 日本演劇学会

追悼 谷川道子さんの逝去を悼む

公開日:2024-02-01 / 更新日:2024-01-25

 

毛利三彌

蝋梅

 先日の新聞の死亡欄で谷川道子さんが逝去されたことを知った。通夜と告別式は静岡掛川の斎場とあり、うかがうことができなかったので、せめてもの哀悼の意を、この追悼文で表したい。

 新聞は、谷川さんを日本のブレヒト研究の第一人者と紹介していた。それに異議を唱えそうな(声には出さなくても心で)ブレヒト研究者であった市川明さんは、なんということか、谷川さんより1日前に急逝されていた。実は、市川さんはドイツのオーバーアマガウで10年ごとに行われるキリスト受難劇を、2010年にグループで観劇することを企画して、それに谷川さんも加わったのだが、市川さんの話では、彼女には大いに困らせられたということだった。何に困ったのか詳細は承知しないが、谷川さんが市川さんを冥界にまで追っていったのも、彼を困らせたいことがあったのではあるまいか、などと勝手な想像をする。というのも、わたしもそれなりにブレヒトを理解しているつもりでいたから、谷川さんのブレヒト論に議論をふっかけたりしたこともあり、だが、彼女は簡単に自説を引っ込めるタイプではなかったから、確かにわたしと親しかったが、喧嘩仲間でもあったからだ。ともあれ、ご両者のどちらが第一人者であるにせよ、われわれは、西の市川、東の谷川というブレヒト研究の両「川」を一挙に失ったことになる。市川さんの追悼は、いずれ、わたしより適任な方がされることと思うから、ここでは谷川さんへの想いを述べさせていただきたい。

 谷川さんはわたしより一世代若いが、ちゃきちゃきの演劇研究者として知られていたから、わたしが勤めていた大学にドイツ語の教師として赴任してきたときは、大歓迎だった。当時、わたしは、同世代の演劇研究者、批評家数人とAMD(あ・えむ・で)という研究グループを作っていたが、このグループは、もともと俳優座の千田是也さんの下にあったので、俳優座とのつながりが強かった。千田さんは、それこそ日本のブレヒト上演・研究の第一人者だったから、彼の演出したブレヒト劇の合評会などもやり、グループの機関誌「あ・えむ・で」に載せたりした。このAMDに谷川さんも遅ればせながら参加し、すぐに機関誌の編集を担当する中心メンバーの一人になった。

 わたしのいた大学には、ほかにもヨーロッパ演劇を研究分野とする教師がいたので、彼らと共に、大学の特別研究助成金を得て、当時の日本では研究が薄かった18世紀ヨーロッパ演劇の歴史研究を数年にわたり行った。1980年代のことである。それは討論形式の研究会で、谷川さんも加わって活発に発言した。日本の18世紀演劇としての歌舞伎の専門家や、メンバーにいないヨーロッパの国の演劇研究者なども招いて話を聞き、研究会の内容は大学の紀要に連載した。毎回、実に楽しい会だった。それは、なにより谷川さんとの議論があったからだといっていい。毎回の発表と討論は、わたしが個人で、わたしの解釈、考察も入れながら全体をまとめていたから、研究会メンバーの個人名は出さず、甲、乙、丙、丁による議論という形で書いていた。たが、ドイツ演劇については、谷川さんの発言をもとにしていることは明白で、東京外国語大学が彼女を招くのに、この共同研究内容を、業績の一つに数えていたのも当然だろう。

 実は、谷川さんの住まいがわたしの家に近かったことや、彼女はわたしの妻と同年月日の生まれだということもあって(だから親しいながら喧嘩仲間だったのも当然か?)、妻は、自分が行っていた身体調整法を谷川さんにも勧め、彼女の一種の難病が癒えたということもある。

 妻が亡くなったあと、わたしは話し相手(喧嘩相手)がいなくなり、友人たちを家に招くことが多くなったが、谷川さんも一度お招きしたことがある。そのとき、ほかにも演劇関係者が何人かいて、わたしは谷川さんのブレヒト翻訳について、つい思いを口にしてしまった。だが、会は、酒を酌み交わしながらの談論風発の和やかな雰囲気だったから、互いに笑いながらの言い合いで、楽しい夕べだったことを覚えている。

 谷川さんにお会いした最後は、多摩美術大学で日本演劇学会の大会があったときの会場だった。歩くのにやや困難をきたしている感じはあったものの、まだまだ独自の意見を述べる元気な谷川さんだった。喧嘩仲間が去って逝くのは、誠に寂しい。そして、日本のブレヒト研究の今後を心配する気持ちが、次第に強くなってきている。

  • 学会コラム「Theatre / Studies」

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